書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆編集部
こどもの本棚
No.2975 ・ 2010年07月24日




ヒロシマで被爆した
少年のあゆみ
▼八月六日の朝 ぼくは十四歳だった ▼長谷川儀
 被爆地ヒロシマの爆心地から二キロメートル。ここで一人の少年が被爆して大やけどを負った。当時一四歳。やがて彼は司祭となり、ヒロシマの教会で平和のために、いのちを奪われた十数万の人びとのために祈り続けている。六五年たったいま、彼はあの日のこと、それからの道のり、そして忘れられない人たちの思い出を本につづった。何が起きたのか。空一面がまっ黄色に変わり、閃光が走った。奇妙な静けさのなかで、まるで時間が止まってしまったかのようだった。それまで経験したことも、聞いたこともない状況が目の前にあった。多くの人が上半身はだかで、大やけどを負っていた。少年も被爆直後から、嘔吐や下痢、悪寒、口内出血がつづき、原爆症で生死のさかいをさまよった。そんなとき彼は、長束修練院の院長で、避難してきた負傷者の救護活動にあたっていたアルペ神父と出あった。こうして彼は、外人先生に診てもらうことができた。でも重症で、先生も「この子はもう、わたしの手の届かないところへ行ってしまったようです」というほどだった。
 だが「奇跡」がおきた。神父やシスターが食べ物を運んでくれるなか、少年は目にみえて快方にむかった。神に感謝し、神父のおしえにみちびかれるように、少年は司祭への道をあゆみだしたのである。(5・26刊、四六判二一六頁・本体一三〇〇円・女子パウロ会)

生きる勇気がわく
哲学のものがたり
▼きみはなぜ生きているのか? ▼中島義道
 ある日、一五歳の高校生、クライ君に、一通の手紙がとどいた。だれからかわからない。でも、読んでみると、「ぼくはきみの味方」「これから五日に一度くらいきみに手紙を書く」とある。不気味におもったけど、彼はいつも「死」のことばかり考えている暗い少年。でも、まいこんでくる手紙に、彼はいろんなことを考えさせられるようになっていった。いままでの見慣れた世界とは違う、こんな世界があるのだと、彼は未来のメッセージをうけとった思いがした。するとこんどは過去のことを考えさせられる手紙がとどいた。「過去は「どこ」に行ってしまったわけでもない。それはいま「どこ」にもないんだ」「ぼくたちは言葉を学んだことにより、「いま」は「ない」未来や過去の出来事でも「ある」感じがするようになる」「すべては「言葉」に行きつく」。この「どこ」にもない不思議な感覚におそわれて、クライ君は胸にじいんとくるものがあった。「いま」や「ここ」や「ぼく」は物質の性質じゃないのに、どう物質の構造を調べても見いだせないのに、たしかにそういうものが「ある」。クライ君はそれをもっと知りたくて、哲学にめざめた。生きるってどういうこと、なぜぼくは生きている? そんな疑問に向かう勇気がわいてくる、少年と哲学のものがたり。(6・10刊、四六判一八六頁・本体一二〇〇円・偕成社)

わすれもののなかに
ひろがる世界
▼わすれもの名人 ▼ばんどうとしえ
 小学校一年生のまあくんは、わすれものの名人です。きのうも、きょうもわすれもの。わすれたことも、わすれてた。きのうやった宿題のプリントをもっていくのも、体操服をもってかえるのも、わすれてた。まあくんは、得意気に「ぼくね、わすれもの名人なんだって」とさけんでいるぐらい。
 あるとき、空でひゅーんと音がしたかとおもうと、なにかが足もとに落ちてきた。あっ、手ぶくろの左と、黄色い学校のぼうしと、うわぐつと、セーターと、プーさんのハンカチだ。みんな、まあくんがわすれてきたものばかり。でも、手にとってみると、手ぶくろのなかには五ひきのミミズきょうだいがねむってる。ぼうしのなかには、野ねずみの夫婦がはいってる。うわぐつのなかには、もぐらの親子がすわってる。セーターのなかには、クマの子、ハンカチのはしっこには、四ひきのしまりすの子どもが……。
 わすれものは見つかったけど、さて、どうしよう。このままもって帰ったら、おかあさんにしかられるにきまってる。まあくんは思いきって、ぜんぶみんなにあげました。
 「おかあさん、あのね、ごめんね、ごめんね。ぼくね、もう、わすれものしないから」。わすれものをとおして、子どものだいじな世界をつたえる物語。(5・30刊、四六変型判一〇二頁・本体一四〇〇円・論創社)

バリアをのりこえて
お母さんをさがす旅
▼妖怪バリャーをやっつけろ!――きりふだは、障害の社会モデル ▼三島亜紀子・文/みしまえつこ・絵/平下耕三・監修
 お母さんと、ふたりの兄弟の三人家族。兄弟は骨の病気で、兄のヤスユキは車いすであるきます。弟のコウゾウは、はいはいで歩くことができます。けんかもする二人ですが、たんすの上にあるオニのお面がこわいのです。
 あるとき、お母さんがおでかけで、二人だけでおるすばんの日がありました。外はまっくらで、くらやみのなか、コウゾウはねむることができません。たんすの上を見あげると、オニのお面と目があいました。するとどうでしょう。目がギランと光るではないですか。「おにいちゃん、みて、オニ!」。ふたりは抱きあって眠り、朝になりました。でも、お母さんはいません。となりのおばさんの話では、オニのお面とそっくりの妖怪があらわれて、お母さんが家に入ろうとすると、雲でじゃまをしてたんですって。
 おばさんがお守りをくれました。これで妖怪を追いはらって、おかあさんをたずねて旅にでます。「いつか晴れたら、おかあさんは帰ってくるよ」「そうしたらみんなで楽しく、くらせるようになるよ」。おたがいはげましあいながら、妖怪バリャーのバリアをこえて、兄弟の旅はつづきます。さあ、読者も旅にでようと、お守りまでついた絵本です。(4・20刊、A5変型判五六頁・本体一五〇〇円・生活書院)

白鳥になった四人の
子どもと王の再会
▼リヤ王と白鳥になった子どもたち ▼シーラ・マックギル=キャラハン・文/ガナディ・スピリン・絵/もりおか みち・訳
 むかしむかし、アイルランドにリヤという王様がいました。王妃がなくなったあと、リヤ王は四人のわが子をじぶんのいのちよりもだいじにして、かわいがって育てていました。そして、王妃の妹の美しいイーファと結婚することになりました。子どもたちがさびしくないように、新しい母にかわいがってもらおうと思ったのです。でも、イーファはみかけは美しくても、心はみにくくねじけていました。そして子どもたち四人を森のおくへつれていき、白鳥にかえてしまったのです。
 リヤ王は、子どもたちがいなくなって、かなしみと心配のあまり、正気をうしなってしまいました。まさか白鳥になったとは気づきません。そして王が城を出ていってからは、イーファが女王となって、思いのままに国をおさめました。そして白鳥をころそうとしたのです。
 美しいうたごえの白鳥が、リヤ王のもとにかえるまで。アイルランドの伝説に着想をえた壮大なお話です。(6・18刊、A4変型判三二頁・本体一八〇〇円・冨山房インターナショナル)

象のタイムマシンに
乗って時間旅行
▼スルタンの象と少女 ▼ジャン=リュック・クールクー作/カンタン・フォコンプレ・絵/前之園望・訳
 インドの王国を治めるスルタンは、毎晩、夢のなかで同じ少女と出会います。少女といっても巨人の女の子で、眠りにつくとかならず出てくる。おかげでスルタンはすっかり睡眠不足に。あるとき、寝起きのスルタンのひたいのしわが、ぐにゃぐにゃ動きだし、文字になりました。そこには、時間と場所を自由に旅する象と、ぴかぴかの木でできた女の子のお話が書いてありました。困り果てたスルタンは、頭の中からこの女の子を引っぱり出すよう、博士に命じます。博士は研究をかさねたあげく、ついに象のタイムマシンを完成させ、スルタンを乗せて時間旅行に旅だちます。百年の時空を旅する物語のはじまりです。(5・5刊、A5判一三〇頁・本体二五〇〇円・文遊社)







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約