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評者◆安藤礼二
新たに構築されていく文学的なバベル――異なった世界を異なった手法で描ききる実験的作品「乙女の密告」(赤染晶子、『新潮』)
No.2974 ・ 2010年07月17日




 人が混じり合い、言葉が混じり合う。そこから新たな表現の主体が立ち上がる。クレオールという理念が明らかにしてくれた事態を、ようやくわれわれ――漢字文化圏に生まれ、語りのシステムからは大きくかけ離れた複雑な「書く」システムをもった日本語という特異な言語を使って文学作品を創り上げていかなければならない書き手にして読み手――が、客観的・分析的にではなく、主体的・情動的に受け入れなければならない時期がやってきた。日本語を母語としない者が日本語で書き、日本の国籍をもたない者が日本語で書く。いくつかの言語の「間」を生き、否応なしにいくつかの意味の戦いを経験しなければならなかった者たちが……。「拍動」(文學界)のシリン・ネザマフィは日本語とアラビア語の差異を、「来福の家」(すばる)の温又柔は日本語と台湾語さらには中国語の差異を、「黒うさぎたちのソウル」(すばる)の木村紅美は奄美語と沖縄語の差異を、作品に刻みつける。
 異なった言語を使う者たちの間に横たわるコミュニケーションの不可能性と、それ故逆に際立つことになる、音と意味の間に広がる複数の差異を一つにつなぎ合わせてしまう言語の可能性……。いずれも作者自身の切実な体験を推測させ、なおかつ、それぞれ好感がもてる作品に仕上がっている。だがしかし、残念ながらそこに紡がれる物語は、そうした主題のみに特化されてしまい、文学的な表現としてはやや平板、紋切り型なものになってしまっているとも思う。もはや多言語使用は現代文学の条件なのである。ドイツ語とイディッシュ語の差異を生きたカフカが、旧大陸ヨーロッパの諸言語と新大陸アメリカの諸言語の差異を生きたボルヘスが形にしたような未知なる作品が、アジアを舞台に、アジアの諸言語を用いて書かれなければならない。そして、それは現在確実に実現されつつある。そう確信させてくれたのが、雑誌『新潮』の特集、「文學アジア 3×2×4」だった。
 特集の緒言にはこう書かれている。日本・韓国・中国という三国の文芸誌が選出した各国二名(計六名)の作家たちが、共通の主題による小説を創作して、各誌が各言語で同月号に発表する。それを今後二年間で四回実行する。言語と市場という壁を乗り越えて、アジア三国の読者が同時に六作品を読み、その体験が共有される。今回のテーマは「都市」である。われわれがそこに見出すのは、死者と生者が共存し(島田雅彦「死都東京」)、父と息子の不条理な関係が反復され(イ・スンウ「ナイフ」)、権力者と被権力者の不条理な関係が逆転する(蘇童「香草宮」)カフカ的な迷宮世界であり、世界の終末と世界の創世が一つになったような(キム・エラン「水の中のゴライアス」)ボルヘス的な作品宇宙である。アジアの諸言語で描き出された、具体的かつ抽象的かつ象徴的な「都市」が一つに融け合い、まさに文学的なバベルが新たに構築されつつあるかのような夢想に誘われる。
 そのなかでも柴崎友香の「ハルツームにわたしはいない」は、何気ない日常生活を何気なく描きながら、きわめて実験性に富んだ作品になっている。大阪に生まれ、東京で生活する一人の女性が、最新のメディアであるiPhoneを使って、今まで訪れたこともないスーダンの都市ハルツームに想いを馳せる――「今はわたしが、そこではなくて、ここにいるっていうだけだ。ここにいて、そこにいないっていうだけ。だって、わたしはこことそこに同時にいることはできないし、どこにもいないこともできないのだから」。柴崎の実験性に匹敵するのは、アンネ・フランクの『ヘト アハテルハイス』(『アンネの日記』)をドイツ語と日本語で徹底的に暗唱し、解釈し続ける不条理な教師とそれに従う不条理な少女たちの姿を不条理に描き尽くした赤染晶子の「乙女の密告」であろう。この作品は、作者の赤染が生きる多言語状況を、自身の「翻訳」によって一つに統一するという側面ももっている。文学における多言語使用とは、なによりもこのように、異なった世界を異なった手法で描ききる実験性と結びついてはじめて意味をもつものではないのか?
 つまり、文学における多言語使用とは、日常の言葉とは次元を異にする非日常の言葉、超現実的な言語による現実的な言語の侵犯、二つの言語の戦いと相互浸透のメタファーでもあらなければならない。そういった意味で、はじめて文学的な表現、超現実的な言語を使って現実的な世界に戦いを挑んだ四人の新人による作品、淺川継太の「朝が止まる」(群像)と鶴川健吉の「乾燥腕」(文學界)、野水陽介の「後悔さきにたたず」(群像)と穂田川洋山「自由高さH」(文學界)のいずれをも興味深く読み進めることができた。前者二篇は非日常の言葉を、後者二篇は日常の言葉を突き詰め、その果てに未知なる領域にたどり着こうとしている。特に、夢と現実を超え、「ぼくとわたし」、前方と後方が一つに融け合ってしまうという境地を表現として追究した淺川の作品には大きな可能性を感じた。
(文芸批評)







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