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評者◆小野沢稔彦
映画こそ、アメリカの戦争体制を中心的に担ってきた『ハーツ・アンド・マインズ ベトナム戦争の真実』(ピーター・デイヴィス監督)、『ウィンター・ソルジャー ベトナム帰還兵の告白』(ウィンターフィルム・コレクティブ製作)
No.2972 ・ 2010年07月03日




 宇宙開発からロボット研究、更にカーナビや美容整形に至るまで、私たちのくらしの総ては戦争を産み出す「技術」と結びつき――人殺し技術の進歩と共に――より豊かな(!?)ものとなってきたかに見える。そして映画こそは、その進歩によって最新化された映像技術(ハードからソフトまで)の上に立って、映像の新しさを紡ぎ出してきた。そのことに映画に携わる人間は自覚的であったことはない(話題の『ザ・コーヴ』などはあからさまにそのことを誇る)。同時に映画は――その誕生から――戦争と結びつき、戦争を表象し、戦争を創り出し続けてきた。このことに映画人はどれ程自覚的であったのか。そして現在も、戦争をめぐる映像は私たちの全生活過程を覆ってタレ流され、私たちを戦争へと拘束している。
 この現在に向けて、およそ40年前作られた――ベトナム戦争をめぐる――二本の作品が上映されている。そしてこの二本の作品は、ベトナム戦争について問いながら、紛れもなく戦争をめぐる映像の表象性の内実を問い、戦争と映像との関係性に自覚的であろうとする大変刺激的な作品なのである。一本は『ハーツ・アンド・マインズ ベトナム戦争の真実』(ピーター・デイヴィス監督)であり、もう一本は『ウィンター・ソルジャー ベトナム帰還兵の告白』(ウィンターフィルム・コレクティブ製作)である。
 まず『ハーツ』である。この作品は、国家と神と家族のために戦う戦争国家=アメリカの全体的構造とその歴史を批判的に視つめる裡から、なぜアメリカが戦争国家、なかんずく「大義」なきベトナム戦争へと突入していったか、を問う。このとき主な方法は、大統領から一兵卒、更には多様な民間人へのインタビューを批判的に再構成することを中心に行うのだが、決して自己に対し分析的に向き合うことのない建前だけのそれらの言説が実に丹念に見直され、批判の文脈の中でモンタージュされるのである。そして、これまで膨大に戦争を創り出すために作られた戦争のための映像(例えば、米日戦争時のプロパガンダ映像)を、反省的にモンタージュし、戦争を創り出す映像の内実が問い直される。その上に圧倒的なベトナム戦争の映像が、戦争への問いを作り出す――ベトナム戦争とは何か! 映画こそ、アメリカの戦争体制を中心的に担ってきた――そして今も。だから戦争の批判は映像の批判でなければならない。
 更にアメリカの市民生活の全過程が、兵士を産み――男らしさこそアメリカ市民の羨望――、戦争を創り出すことを、人々のくらしの中から剔抉し、そのことに批判的視点を向ける。実にアメリカは、その建国の最初から侵略を前提に「国家」を創り出し、侵略戦争を兵士だけでなく、総ての「国民」が担ってきたのである。
 例えば、戦争装置としてのスポーツ(総てのスポーツは模擬戦争である)。映画は、健全な精神と肉体を作るとされるスポーツが――ここでは特にアメフト――、いかに戦争体制を創り、補強し、兵士を美化する(無心に飛びはねるチアガールのパフォーマンスこそが兵士を讃美し、その歓呼の中に兵士を戦場に送り出す装置でもある)かを、鮮やかに浮上させる。健全な、とは国家が創り上げた虚構である。このように『ハーツ』は映像だけでなく、日常生活に関わる全てが戦争に直結していることを批判的に暴き出す。今、映画を作ることとは作ることそのものを問う、極めて意識的な批評性をぬきに、反=戦争映画を構想することはできない。そうした点で、この『ハーツ・アンド・マインズ』から私たちが学ぶことは多い。
 一方『ウィンター・ソルジャー』は、ベトナム帰還兵たちが戦争の渦中、ベトナムで行ったそれぞれの蛮行の現実を告白した公聴会の記録である(正式に米国議事録にアーカイヴされる)。ここでの証言は重く、それによってベトナム戦争がベトナムの民衆を人間と見ない〈人種主義〉にもとづく民衆抹殺以外ではないことが明白に浮かび上がる――この現実は今も全世界で続いている。かつての男らしい美しき兵士を今は降りた、長髪・ヒゲ顔の元兵士一人一人の証言については映画を観てもらうしかないが、ではなぜアメリカがこのような差別主義にもとづくジェノサイドを行ったのか。
 この公式の証言集会の幕間に起こる、アメリカ内部の決定的な断絶に目を向けよう。会場に来ていた黒人兵(多分、ブラックパンサーに関わりがある)は証言する白人兵に問う。「アメリカの全ての戦争の根底には、明らかに人種主義(レイシズム)があるが、黒人と白人との間では決定的にレイシズムの質が違う」と。つまり黒人と白人との間にある断絶を問題にしない人種主義批判ではアメリカ国家の内部に巣くう戦争至上主義の批判にはなりえない、と。
 すなわち、レイシズムとは文字通り「人種」主義であるが、もう一方「競争」主義という意味も含意されてあり、このことは紛れもなく現在のグローバリズム世界を表象していよう。そして競争社会とは強いもの、金を持つものだけが勝つ社会である。しかし黒人は、端から競争のスタートラインに立つことから拒絶されてあり、戦場では死の最前線に裸で放り出されているのである。そして、このレイシズムこそが戦争を作り出す。この現実に向き合うことなくアメリカの戦争を現実的に問うことはできないし、意味がない。アメリカの戦争にわだかまるレイシズムの矛盾を黒人兵は鋭く暴き出す(そしてこの幕間劇は公式記録に載ることはない)。この断絶の幕間劇にこそ、戦争をめぐるアメリカ社会の現実がある。
 更に集会で自己を告発するインディアン(あえてこう書く)兵士の言葉は、戦争と戦争を創る映画への決定的告発を秘めている。インディアン兵士は言う。「これまで何度も騎兵隊対インディアンの戦いの映画を俺は観た。やがて俺は騎兵隊をカッコイイと思い、騎兵隊がインディアンを殺しまくることを喝采するようになった」と。今日、定番ハリウッド西部劇を肯定する者は、少なくとも知識人においては少数だろう。しかし、現実は今日もタレ流されるインディアン虐殺映像の中で、騎兵隊(アメリカ国軍)は正義であり、美しい男たちの集団であり続けている――そして今もなお、インディアンは人間ではない生きものとして抹殺されている。このように映画は戦争を創り、戦争環境を産む。その中でインディアンを含めた「国民」の総てが戦争を賛美し、それに突入する。
 自分たちの存在を汚らわしいものと感知せざるをえなかった――レッドパワーを、そしてブラックイズビューティフルを叫ぶことは途方もなく偉大なことだ――現実の「アメリカ兵士」インディアンの告発こそ、アメリカの戦争の根底にあるものを撃つと同時に、映画と戦争との決定的な繋がりを、形容できない程無惨に露出させる。
 ベトナム戦争を告発する兵士たちの、兵士であった存在そのものの根底を問う深い問いを媒介として、戦争によってしかアメリカという国家を創りえなかった国家の内実が浮かびあがる。その現実を、映画は鋭く告発すると同時に、今も続く戦争の内実を内部から暴き出す今日のドキュメントとして、この二本の映画があることを確認したい。
(プロデューサー)
『ハーツ・アンド・マインズ/ベトナム戦争の真実』『ウィンター・ソルジャー/ベトナム帰還兵の告白』は、東京都写真美術館ホールにて同時公開中、他全国順次公開。公式HP www.eigademiru.com 







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