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評者◆秋竜山
生まれたときから知っている、の巻
No.2971 ・ 2010年06月26日




 「もしかすると、あの時が…」と、思えるような、思えないような。まァ、幸せな人だろう。誰がなんと言おうと、自分がそれを信じているのだから、それでよいのではないか!! なんて、ね。金田一秀穂『「汚い」日本語講座』(新潮新書、本体六八〇円)では、
 〈三島由紀夫は、自分が分娩されたときに、産婆の用意した桶とその中に湛えられた湯が光るのを見た記憶があると言った。〉(本書より)
 本人がそうだと言っていたというのなら、そうでしょう。というしかないだろう。ましてや有名な人であるから。「アハハ……、冗談、冗談……」と、笑ったというわけでもなさそうだ。聞くほうの立場として、どのように反応したらよいのだろうか。三島由紀夫の言うことであるから、「さもありなん」ということになるのだろう。信じなくても信じられるということだ。
 〈しかし、それは明らかに嘘である。嘘でないとしたら、後年になって作り上げられた変化した記憶である。なぜそれが嘘だと分かるのかと言うと、まず、生まれたての赤ん坊に、自分が見たものが桶である、湯である、光っている、というような区別が出来るはずがないのである。ただぼんやりと、暗いところから明るいところに出た、というような感覚があるかもしれない。圧迫感があったのに、突然、まったく圧迫感がなくなってしまった、という皮膚感覚はあるかもしれない。温度が急激に下がった、という皮膚感覚もあるかもしれない。時系列的な「変化」を意識することもないだろうから、「あ、軽い」とか、「あ、寒い」というような感覚であろう。(略)そのときの赤ん坊は、アメーバとあまり変わらない。〉(本書より)
 生まれ直して、もう一度、じっくり体験してみよう!! なんて、ことできるわけもない。三島由紀夫が今度生まれてくる時、体感してみたらどーか。「やっぱり、私は自ら感じた」なんて、三島由紀夫が自信たっぷりに言ったとしたら、面白い。三島らしい!!と、言われたりするかもしれない。この「らしい」と、いえる人にだけゆるされる特権かもしれない。たとえば、川端康成はどうだろうか。川端康成が言ったとしたら誰もが「川端康成らしい!!」と、いうことになるか。なりそうな気もしてくる。芥川龍之介なども、その部類にはいるだろう。本書では三島由紀夫の嘘として述べられているが、昔、私はこのことを何かの本で知った時、「さすが……だ!!」と、信じたものであった。三島由紀夫だから、うたがうこともしなかったが、これが、近所のオヤジが言ったとしたら、「何を、バカなこといってる」と、いうことになるだろう。三島由紀夫と近所のオヤジと、どこが違うというのだ。こういうことも想像すると面白い。誰にでも、自分が分娩されるところが記憶できるということだ。様々な体験談が語られるだろう。「ヘー、お前そうだったのか。実は俺は、こーだった」なんて。自慢げに語るやつもいるかもしれない。「他人には絶対に話せる状況ではなかった」なんて、人もいたりするかもしれない。ところで、産む母親はどーだろうか。「バカ、いうんじゃないよ」と、私の母親だったら言うかもしれない。それに、「私は分娩される時のことを知っている」なんて、いえないいえない。







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