書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆稲賀繁美
世界のセザンヌ効果を検証する 上 :文脈 Russia and Global Cezanne Effect 1900‐1950 (March 26‐28, 2010, Boris Yeltsin Presidential Library)
No.2971 ・ 2010年06月26日




 弥生も末の聖ペテルスブルクの街は、まだネヴァ河も氷結している。だが、時折陽が射すと、ロココの大建築の軒という軒からは雪解け水が落下して、歩道も車道も時ならぬ洪水に見舞われる。自動車の排気ガスで真っ黒な根雪も、道路清掃職員がピッケルで解体し、燃えない石炭よろしき漆黒の堆積が旧市街のあちこちに積み上がる。
 イサク聖堂から西に1区画先のネヴァ河河畔には、黄色に塗られた旧元老院の建物がある。それとアーチで結ばれた隣の宗務院が全面改装され、ボリス・エリツィン大統領図書館として2009年に開館した。ひどく宏壮な建築だが、書庫に鬱蒼と古書が居並ぶ風情ではない。もっぱら歴史文書や豪華本の電子化をすすめる先端技術機関だという。その豪華絢爛たる大広間を会場に、「ロシアと全球的セザンヌ効果」が開かれた。折からロシア美術館で開催のペーター・コンチャロフスキー(1876‐1955)回顧展とも連動して、画家の子孫が運営する財団の初仕事として、一連の行事が催された。
 ロシア前衛絵画の一角をなすこの画家は、安井曾太郎(1888‐1955)と重なる時期にパリに留学し、ファン・ゴッホやセザンヌ、マティスから大きな感化を受けている。帰国後にロシア回帰を果たし、一種の始原主義Primitivismを志向する。その軌跡は、非西欧からパリに身を投じて祖国に戻った南北アメリカ出身の画家たちの足跡とも類比できる。従来ややもすれば各国別の追跡に終始したこの往還を、「セザンヌの影響」ではなく惑星全球に波及した「効果」として描こうとするのが、今回の企画だった。
 会場より徒歩20分ほどのエルミタージュ美術館にはシチューキン、モロゾフら大富豪が蒐集したセザンヌが居並び、北米のバーンズ・コレクションに追随する。そこに極東の白樺美術館計画や松方コレクションの「夢」を並べれば、同時代の思潮も彷彿としよう。倉敷の社会事業家・大原孫三郎による蒐集品一般公開は1930年。文化的辺境からの西欧崇拝の徒花とはいえ、それは世界経済拡大を物語る指標でもあった。
 「自然を球と円筒と円錐によって扱え」。セザンヌ晩年のエミール・ベルナール宛書簡で著名なこの命題は、立体派以降の世代により教条化される。フランスではレジェ、ロシアではマレーヴィチがその代表。だがその傍らに洋行帰りの土田麦僊(1887‐1936)《舞妓林泉図》(1927)を添えるとどうだろう。極東への思わぬ波及ぶりには、聴衆から驚きの声があがった。 また聖ヴィクトワール山に霊感を吹き込まれた多くの画家たちは、故郷にその残映を認め、換骨奪胎を企てた。北米のハートレイ(1877‐1943)のみならず、日本では林倭衛(1895‐1945)のエクス巡礼に先立つ中村彝(1887‐1924)の《大島風景》(1915)や、小野竹喬(1889‐1979)の《笠置風景》(1917)ほかを連ねると、原型への追従といった図式を越えた「見立て」が、地球規模に伝播した実相も見えてくる。
 さらに岸田劉生の《切り通し》(1915)を、セザンヌの《鉄道開鑿の切り通し》と対比させれば、モチーフの国際的波及が表象空間を刷新させた様が、生々しく浮かび上がる。
 静物画に目を転ずれば、セザンヌの林檎が世界的規模で増殖してゆく様は壮観だ。並列するのも陳腐な欧米各国の類例あまたあるなか、岸田劉生や小出楢重の静物は、思わぬ異彩を放つ。元祖セザンヌやメキシコのリベラと並べても、一歩も引けをとらないからだ。お国自慢とは無縁な次元で、日本近代美術・文化史を同時代世界史に開き直す好機となった。(以下次号
(国際日本文化研究センター研究員・総合研究大学院大学教授)







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約