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評者◆斎藤貴男
経済成長を最高の価値とする愚――成長を自己目的化した社会では、いかなる悪徳も暴力も正当化されていく
No.2970 ・ 2010年06月19日




 この国の社会の存在目的が〝経済成長〟だということにされてから、いったいどれほどの年月が経過したのだろう。
 小泉純一郎政権は、「構造改革なくして経済成長なし」と絶叫し続けた。排他的な愛国路線ばかりが強調された一方で、内閣府に「成長力底上げ戦略構想チーム」を設置し、国家とグローバル企業とのさらなる一体化を進めようとしたのが安倍晋三政権だ。
 成長の弊害をアピールして支持を得た鳩山由紀夫政権もまた、真っ先に手がけたのは格差社会の改善でも監視社会の見直しでもなく、「成長戦略策定検討チーム」の旗揚げだった。何一つとして変わりはしなかった。
 おぼろげな問題意識を抱えつつ、たまたま関心を持った分野を調べていて戦慄した。比喩でもレトリックでもない。経済成長は確かに、あらゆる領域で、絶対的な価値になっている。
 司法制度改革に伴う弁護士の大増員をめぐって日弁連内部に反対意見が高まった。質の低下や過当競争による生活苦、それゆえの悪徳弁護士の横行が危惧されるためだが、鈴木寛・文部科学副大臣は最近、こう述べたという。
 「日本の成長戦略を考えるうえで、『年1500人』という主張は論外。中国も韓国もインドも多数の弁護士を輩出し、それを成長戦略の武器にしている。日本だけ少なくていいとのロジックはありえない。なぜこの20年で日本の競争力が凋落したのか。端的にいえば文系人材のレベルが低いから。日本には政府にも企業にも、グローバルな会計士、弁護士が足りない。だから国際的なルールメーキングの場から排除されてしまった。質を確保しながら、『年3000人』に向けて歩を進めなければならない」(『週刊東洋経済』五月二二日号)
 弁護士法の第一条、基本的人権の擁護や社会正義の実現などという価値は見向きもされていない。弁護士とは国の成長戦略を推進するための戦力でしかないというのが、副大臣の信念であるようだ。
 あるいは消費税の増税論議。一般には財政難の解決や社会保障の充実ばかりが語られがちだが、これらもまた建前でしかない。四月に日本経団連がこんな提言を出していた。
 〈第Ⅰ章から第Ⅲ章にわたって詳述した成長戦略(引用者注 「環境・エネルギー大国戦略」「アジア経済戦略」など)を講ずるにあたっては、新たな財政措置が必要となることから、前述した通り、優先的に予算を確保する特別予算枠(成長戦略特別枠)の設定が求められる。これを前提として、歳出・歳入両面の改革を進める中で、成長により生み出される果実などを綻びが生じている社会保障制度の再構築に活用していくこと、また、国民の将来不安の解消により成長を促していくこと、この2つの好循環達成に向けて、体系的かつ整合性のとれた施策を早期に策定、実施することが望まれる〉
 消費税増税は社会的弱者が一方的に割を食う税制だ。低所得者ほど税負担が高まる逆進性や、売り値に消費税分を転嫁できず自腹を切らされた零細事業者が軒並み廃業に追い込まれていく危険等々。にもかかわらず、だからどうしたと開き直っている。社会保障の財源云々も、要は成長のためのコスト、ツケ回しとしてのみ位置づけられているらしい。
 挙げていけばきりがない。農政も社会保障も教育も、道州制も――。
 なるほど経済成長はよりよい社会を構築するための有力な手段にはなり得よう。伸ばす努力はあっていい。けれども少しやり方を誤れば、大変な犠牲を伴う諸刃の剣である。
 GNP(国民総生産)が最高の価値だとされていた時代に、私たちは嫌というほど思い知らされたのではなかったか。最悪の弊害は公害だ。水俣病やイタイイタイ病の悲惨が常識になるまで、「くたばれGNP」の思いを共有することができなかった反省を、未来永劫、語り継がなければならない責務を、この国の社会は負っている。
 二度のオイルショックを経た低成長、アメリカの学者にジャパン・アズ・ナンバーワンと褒めそやされた時代が過ぎて、少しは落ち着いた世の中が訪れかけたのも束の間。急激に膨らんだバブル経済が拝金主義を蔓延させ、そのバブルが破裂したらしたで、今度は小泉純一郎政権の構造改革がやって来た。
 彼が竹中平蔵・経済財政担当相(当時)らとともに徹底したいわゆる新自由主義は、煎じ詰めれば世の中の富を多国籍企業に集中させる利益誘導以外の何物でもない。かくて経済成長を絶対とするイデオロギーはあらゆる階層に広がり、リーマン・ショックを引き金に見舞われた世界同時不況のただ中で、ますます深く、太い根を下ろしていった。
 成長を自己目的化させた社会では、いかなる悪徳も暴力も正当化されていく。とすれば当然、戦争だって経済を活性化し、成長を促進する〝正義〟なのである。
 アメリカが決して戦争を止めないメカニズムそのものだ。日本もまた、朝鮮戦争で復興を果たし、ベトナム戦争でアメリカや東南アジアの輸出市場を拡大した特需景気の構造にまたぞろあやかりたい計算がなければ、こうまで屈辱的な対米従属が続けられる道理がない。
 目的意識を過剰に高めた社会が、その目的は達成されないと悟ってしまった瞬間が怖い。大沼保昭・明治大学特任教授(国際法・国際関係史)は、近く確実に訪れる、GDP(国内総生産)で中国に抜かれる際の日本国民の反応が要注意だと指摘している。
 〈70年代以来日本のアイデンティティーの核をなしてきた「世界第二の経済大国」の地位から転落すると、日本では過剰な喪失感や不安感が高まる恐れがある。
 そうした状況の下で、中国の軍事大国化を過剰に意識し、「中国の軍事力増強に対抗する軍事力強化を」という考えが頭をもたげないようにする必要がある。世界第二、第三の経済大国の日中が相手を仮想敵国視して軍備増強に励むことで、東アジアの安全保障環境が悪化し、両国関係が負のスパイラルに陥る愚は避けなければならない〉(「経済教室」『日本経済新聞』二〇〇九年九月二四日付朝刊)
 中国の脅威を煽りまくるマスコミや、これを増幅してやまないネットメディアの様子を見る限り、〝暴支膺懲〟の気分がまたぞろ盛り上がらない保証もない。そうなる前に、経済成長を最高の価値とする愚をこそ改めておくべきである。
 日本には地下資源が乏しい。人口も減っていく。圧倒的な軍事力の保有など断じて許されてはならない。大正期の『東洋経済』で三浦銕太郎や石橋湛山らが提唱した小日本主義を真剣に検証すべき時代が訪れているのではないか。
(ジャーナリスト)







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