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評者◆安藤礼二
あらためてこの「百年」を問う――表現と生活における自由の問題を提起し、論考ともなりえる内容をあえて荒唐無稽な「小説」の形に結晶させた「アナーキー・イン・ザ・JP」(中森明夫、『新潮』)
No.2968 ・ 2010年06月05日




 ちょうど百年前の一九一〇年、この列島に、大逆事件と韓国併合という二つの出来事が相次いで生起した。それは近代的な国民国家が過不足なく成立するための二つの条件でもあった。大逆事件によって古代を模した天皇制という強固な中央集権体制が完備され、韓国併合によって植民地をアジア全土へと拡大してゆくための第一歩が記された。ここに空間的な差異(植民地による資源と人員の収奪)と時間的な差異(権力の集中による技術革新)を利用して資本が蓄積されてゆく近代的=資本主義的な帝国としての「日本」が誕生した。おそらく、その時に孕まれたさまざまな問題は、世界大戦という破滅を経た現在に至ってもいまだ根本的には解決されていない。剥き出しの暴力が行使されなくなった分、格差は密やかに広がり、矛盾は極限に達しようとしている。あらためてこの「百年」を問うことが、日本語を表現の手段とするわれわれに突きつけられた大きな課題である。
 中森明夫の「アナーキー・イン・ザ・JP」(新潮)は、現実の政治によって虐殺された大杉栄と伊藤野枝の「亡霊」を、想像力の現代を生きる一七歳の少年とアイドル歌手に転生させ、大逆の一九一〇年と貧困の二〇一〇年を一つに重ね合わせることで、あらためて表現と生活における自由の問題を提起した意欲的な作品である。表現のアナーキズムを体現するためには、書き方(スタイル)もまた根本的に変革されなければならない。おそらく長大な論考としても書き得る内容を、中森はあえて荒唐無稽な「小説」の形に結晶させた。それがアナーキズムを現代に甦らせる一つの方法なのである。そこでは大杉が残した「美はただ乱調にある」を実践するかのように、高貴な言葉と卑俗な現実が入り混じる「有象無象、自由な主体の運動の連合」そのものが描き出され、複雑な歴史をあえて「革命」の名のもとに単純化して提示するという野蛮かつ野心的な意図が貫かれている。
 歴史を乗り越えるために召喚される表現のアナーキー。それは時代の無意識ともシンクロしている。さまざまな響きが入り混じるなか、「私たちが皆殺しにされる音」とはじまる町田康の小詩集「そこ、溝あんで」(同)、さらには歴史と表現の問題にこれまで誰も見たことがなかった形で総合を与えた特異な小説家トマス・ピンチョンを特集した「新世紀トマス・ピンチョン」(同)などとも問題意識を共有しながら、文学が向かうべきこれからの「百年」の方向を指し示すものであろう。だがしかし、それでも私は中森の表現のすべてを受け入れることはできない。作中での固有名の使い方や歴史観はやや図式的なものであると思うし、歴史と拮抗するために「小説」というフィクションがもたざるを得ない方法的な自覚についてもまだ充分に錬られていない点があると思う。
 歴史とフィクションはどのような関係をもたなければならないのか。その難問に立ち向かうヒントになるのが、奇しくも同じ一九六八年という、現実の歴史においても想像力にもとづいた表現においても、世界的な規模で異議申し立てが行われた出来事をどう捉えていくのかという点で述べられた、二人の小説家の発言である。「1968から2010へ」(文學界)で小熊英二に対して高橋源一郎はこう答えている。「歴史を再現するということはある意味たいへん暴力的なことです。つまり、歴史は細部にあるということは僕も同感です。そして、細部は無限にある。それらを全て再現することはもちろん不可能です」。それでは、どうすれば良いのか。現実の日付を物語の重要な構成要素とした『ピストルズ』を書き上げた阿部和重は、「コンセプチュアルな小説について――『ピストルズ』をめぐって」(同)で斎藤環に向かってこう語っている。「フィクションを組み立てること自体がそもそも不自然な行為であるので、その不自然さを人目にさらすような表現形式上の限界点を、フィクションをつくり込むことによって際立たせるということが、結果、まがいものとしてのフィクションのリアリティを示すことにつながる」と。
 時間の経過とともに明らかにされる歴史の細部を、フィクションという不自然な行為を用いて再構成する。今月発表された小説のなかでそのような不可能な主題に挑み、最も実り豊かな表現世界の構築に成功しているのは、柴崎友香の「寝ても覚めても」(文藝)であると思う。一見すると一人の女性を主人公として、二十二歳からの十年の間に繰り返された出会いと別れを淡々と描いただけの作品のように読めてしまう。しかし、そこに流れる物語の時間は大胆に省略され、物語の展開からは自律した、写真を撮る主人公の眼差しが捉えたような風景がストーリーの持続を断ち切るように挿入されていく。読者はフィクションが進行していくたびに作中の主人公が抱くような「時間」に対する述懐、「時間が確実に過ぎていくことが、唐突に、一度に、目の前に」あらわれることを実感する。きわめて意識的で優れた小説だと思う。
(文芸批評)







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