書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆小嵐九八郎
啄木の歌に魅かれていく根拠が解る――三枝昂之著『啄木――ふるさとの空遠みかも』(本体二八〇〇円・本阿弥書店)
No.2966 ・ 2010年05月22日




 うんと昔の社青同解放派の諸君! 石川啄木の本名は、小学校二年まで「工藤一」だったそうです。工藤は当方の本名の姓だけど、一は、中原一という、某派に三十六歳の時に殺された若き革命家ですよね。なんという光栄――なんつうて、俺も進歩がまるでない。
 このことを教えてくれたのは、三枝昂之氏の出した『啄木――ふるさとの空遠みかも』(本阿弥書店、本体2800円)である。
 これだけではない、啄木が、近代との苦しみと闘いの果てに、現世になぜ不滅に生き続けるのかを、派遣労働者、普通のサラリーマン、当方ごとき売れない作家兼自称歌人にも遍く通じる「居場所を求めて漂流する」感性として焙り出し、教えてもくれる。
 そもそも、啄木の、生のピークと失意と死が凝縮する一九〇八年から一九一二年、明治時代末期四年間について、あらゆる資料を正確に抽出した上で、研究書なのに、あたかも伝記風にも読ませるようになっている本だ。巻頭での、啄木が、文学にやみがたい望みを抱いて北海道の函館から、妻子を残し、船で横浜へと出てくる場面、巻末での自由律の詩『飛行機』の今へと引きずる終わりと、当方は、感情移入をして、すみません、語彙が娯楽小説家そのもので、ぐいぐい引かれ、ほろりとしてしまうのである。こういうのって、筆力の凄みという。無論、三枝昂之氏は、歌人であって散文家ではないのにである。多分、現代の若者の五割、中高年の七割が、志を持ちながらも傷つき、自分探しにも疲れているはずで、この本を読むと、元気溌剌にはならぬとしても癒されるはず。
 啄木の歌が、プロレタリア文学にも、モダニズムにも引き継がれていく分析もさることながら、「暮しに近しい」「平熱の自我の詩」と説いていて、なるほど、俺が二転三転し、再び啄木の歌に魅かれていく根拠が解ってくる。
 三枝昂之氏は、かつて一九七二年、《霜は花と咲きて凍れる冬の詩を星とならざる射手にささげむ》の哀切を超えて、歴史的行為に迫る歌を作っている。
(作家・歌人)









リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約