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評者◆内堀弘
梶井基次郎の署名本――ほとんどが淀野隆三と梶井の母の代筆、本人のものはあるのか
No.2966 ・ 2010年05月22日




 某月某日。日暮れ頃になってのぞいた古書展で尾崎士郎の随筆集『芋月夜』(昭21)を手に入れた。五百円。新刊書では到底読めない古い随筆集を、文庫本ほどの値段で買えるのだから、なんと贅沢なことかと思う。
 帰りの電車でパラパラ見ていると、中に「亡き友の手紙」という回想がある。戦争中、炭不足のため反古紙を火鉢で燃やしていたというのが、しだいに古雑誌、その内には「長い間保存していた古手紙」まで火鉢に投入したというのだ。嗚呼、なんと勿体ないと思うばかりだが、そんなとき、梶井基次郎からの手紙が出てきた。
 尾崎と梶井とは一時期絶交状態にあったが(たしか宇野千代を巡る三角関係)、しかし「苦しい病床の中から」届けられたこの手紙によって旧情を取り戻せたという。その全文を紹介しているが、吐露される真情とは別のところに私の興味は釘付けになってしまった。というのは、こんなくだりだ。
 「この間淀野(隆三)から『檸檬』といふ私の小説集を送つて呉れた筈ですがお受け取りになつて下さいましたか。あれに署名がしてありますが、きつとお気づきだつたと思ひますが、あれは私がいちいち書いてゐられないので淀野がして呉れたのです」
 『檸檬』は梶井基次郎の生前唯一の著書だ。病床にあって署名もままならなかったのだろうが、しかし「尾崎士郎様 著者」と署名があれば、因縁深い旧友へ献じた一冊だ。もし古書で現れれば貴重な一冊にちがいないが、それが代筆とは……。
 帰宅して、川島幸希氏の一連の著作を開いてみる。近代作家の署名に関して最も実証的で信頼できるものだ。『檸檬』についてはこうある。「本人の署名本が存在する可能性が絶無とは言えない」が「刊行直後に献呈すべき人物に対する署名本はすべて(淀野と梶井の母親の)代筆と考えてよい」。なるほど明快だ。しかも、淀野と母親の筆跡は梶井の筆跡と酷似していたとの証言をあげて、それを見分けるのは現在では困難だろうとある。
 「絶無とは言えない」梶井本人の署名が万一遺っていたとしても、もう見分けることはできないのだ。なんだか、この作家の儚さに通じている。
(古書店主)







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