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評者◆秋竜山
俳句はいいなァ、の巻
No.2965 ・ 2010年05月08日




 〈巨人たちの俳句(源内から荷風まで)、磯部勝、平凡社新書、本体七六〇円(税別)〉では、日本の歴史上の人物の六人の巨人たちの俳句。〈一般の俳諧・俳句史では、この六人のうち、二世団十郎以外は取り上げられない。〉その六人とは、〈永井荷風・堺利彦・南方熊楠・物外和尚・平賀源内・二世市川団十郎。〉である。巨人の俳句となれば、「やっぱり巨人の俳句はそれにふさわしいものだ」と思わせてくれるものだろう。と、いうことと同時に、「やっぱり俳句をつくっていたのか」という気持がわく。それほどに俳句人気のすざましさを感ずる。〈歴史に残るような大きな仕事をした人物が、どうして晩年まで俳諧・俳句をつくり続けたのだろうか、という興味が、本書を書くきっかけでした。(略)今、六人の巨人たちの俳諧・俳句を読んできて見えてきたことは、この人たちのいわば本業は、荷風の小説、二世団十郎の舞台などを考えても、公的に、社会に向けて提供されるものですが、これに対して、俳諧・俳句は、極めて私的な、ほとんど非社会的なものであるということです。その私的で、非社会的な俳諧・俳句を、荷風や二世団十郎が手ばなさなかった理由を、筆者はこう考えました。公的な仕事は、一人歩きして、ときには作者や役者の虚像をつくりあげるだけに、その背後にいる実像でしかない作者や役者には、バランス上、一個人である自身を支える営みが必要だったのではないか、と。〉(本書―あとがきより)俳句づくりをする人は、みんなそーだろう。生きる上でのバランスが必要なんだろう。なかには、フッと我にかえって、五七五をひねってみるなんて人もいるかもしれない。俳句のよさは、五七五にある。五七五におさめればよいからだ。俳句気分にさせてくれるからだろう。本書の六人の中で、物外和尚という禅僧はあまりなじみがなかった。
 駕籠かきは何ともいわず時鳥
 と、いう俳句を残している。なんともおかしみのある一句である。無言の駕籠かきの何ともいわずというのを、なにがおかしいのだといわれればそれまでである。ホトトギスが啼いているのだから、駕籠かきの一人が、「ホトトギスがよく啼くなァ」と、いえばよいのか。そして、もう一人の相棒が、「今は特別啼く」なんて、口にすればよいのか。〈作者は駕籠に乗っているのであろうか、ホトトギスがしきりに啼いているのに、駕籠かきは何ともいわない、といっているのである。駕籠かきなどは無風流なものだ、というのかもしれない。そうではなくて、駕籠かきだってホトトギスの声は聞いているには違いないが、それでも何ともいわないのが、彼ら駕籠かきというものだ、という意を込めた一句ともとれる。〉(本書より)とりあげてあげたいのは、しきりに啼いているホトトギスである。ホトトギスにしてみれば、これだけ続けて啼いているとに何の反応もない。なんという張りあいのないことか。この俳句のおかしみは。駕籠にのっている人。駕籠かき。ホトトギス。その三者ののどれを主役とさせるかで句の意味あいも異ってくるということだ。いや、もしかすると、この三者をみているもう一人がいたりするかもしれない。







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