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評者◆ヤコブ・ラブキン (訳・鶴見太郎)
「シオニズム」とは何か――イスラエルとシオニズムについて、バランスある議論を開く二著
トーラーの名において――シオニズムに対するユダヤ教の抵抗の歴史
ヤコヴ・M.ラブキン著、菅野賢治訳
ユダヤ人の起源――歴史はどのように創作されたのか
シュロモー・サンド著/高橋武智監訳、佐々木康之・木村高子訳
No.2963 ・ 2010年04月24日




 イスラエル国家が樹立されてから、今年四月一九日で六二年になる。その建国者たちは普通の国家を創設しようと望んだ。多くの点で、イスラエルは明らかに成功を収めている。例えば、その科学や技術は世界水準だ。だが他の点では、イスラエルはそのほとんどがその生誕時の情況を反映して普通の状態とは程遠い。より深刻なのは、この異常さによって、イスラエルに関する合理的な議論が妨げられているということだ。
 イスラエルは公式にシオニスト国家であり、シオニズムによって生み出された。「シオニズム」という言葉は、人によって意味するところが異なっている。ある者はそれを、イスラエル国家がどうあろうが、それを無条件に擁護する名誉の印として用いている。しかし多くのシオニストは、イスラエルをシオニスト国家と呼ぶことには、不快感を覚える。彼らはそれを「ユダヤ人国家」、つまり「ユダヤ民族の国家」であると主張するのである。自らをシオニストと考える者の多くは、イスラエルが何であるかということやその行動に苦悩はしているものの、それを公に表明しようとはしない。他方、多くのイスラエル人を含むそのほかの者は、シオニズムは、イスラエル/パレスチナの平和への障害であり、集団的自殺への道であるとみている。
 シオニズムは、一九世紀のヨーロッパに広く見られたエスニック・ナショナリズムの晩期の変態である。シオニストもその反対者もともに、シオニズムとイスラエル国家はユダヤ人の歴史からの逸脱であるということに関しては一致している。
 この逸脱は、ヨーロッパの多くの人々に影響を与えた、宗教遵守の放棄の流れの中に位置づけられる。この流れは、シオニズムを含むエスニック・ナショナリズムの発生の潜在的な要因となった。とりわけ中・東欧において、世俗化はユダヤ人アイデンティティの根本的な変貌をもたらした。伝統的には、宗教的なJew(ユダヤ教徒)は、彼らが何をするか、あるいは彼らの宗教が彼らに何を義務づけるかによって特徴づけられていた。それに対して、新たなJew(ユダヤ人)は、彼らの行動とは無関係に、彼らが何であるかによって規定される。故イェシャヤフ・レイボヴィツ教授(エルサレム・ヘブライ大学)の言によれば、「歴史的なユダヤ民族は、人種としても、どこそこの国、あれこれの政治体制下の民族、同一言語を話す民族としても定義されず、トーラー(注1)・ユダヤ教とその戒律の民として、精神的にも実践的にもある特定の生活様式を持った民族として定義された…。この意識は…、民族的本質を形成した。つまり、それはそれ自体として幾世代にもわたって保たれ、時期や環境にかかわりなくその同一性を保持することができたのである」。
 シオニズム運動を開始し、率いていった人々は、とっくにこの厳格な道徳的自制の効いた伝統を棄ててしまっていた。彼らはユダヤ人であってユダヤ教徒ではなかったのだ。
 シオニズムの発生のもう一つの重要な要因は、人種的ないし科学的な反セム主義という世俗的イデオロギーと融合した、ヨーロッパ社会へのユダヤ人の参入に対する抵抗だった。改宗を通じた救済を目的としたキリスト教の反ユダヤ教と異なり、近代の反セム主義はユダヤ人を、ヨーロッパやその人口と文明に対して敵対的ですらある人種ないしは本質的に外来の人々とみなした。この教理によって、ナチ支配下のヨーロッパにおいて、膨大な数のユダヤ人やジプシー、その他「劣等人種」が虐殺されることとなった。今日のヨーロッパでは、こうした態度はユダヤ人に対してよりもムスリムに対してより頻繁に見られる。
 シオニストの主張では、ポーランドやイエメン、モロッコといった多様な国々出身のユダヤ人は同一民族に属する。多くは、彼らが二千年前の聖書ヘブライ人の末裔であるとさえ信じている。
 日本語にも翻訳された近著(『ユダヤ人の起源』)において、シュロモー・サンド教授(テルアビブ大学)は、こうした信仰に異を唱えている。彼によると、エスニック概念としてのユダヤ人には、歴史的な正統性がなく、単に一九世紀終わりにシオニズムが必要としたために「発明」されただけである。なぜなら、ナショナリズムは不可避的にネーションの正統性を必要とするからだ。
 シオニズムはユダヤ人の伝統的な宗教的定義を取り下げ、ヨーロッパのプロトタイプをモデルとした近代の民族的ないし人種的な定義を採用した。だからこそシオニストは、ユダヤ人が特異であり、だからこそ外来の民族ないし人種であるとする、反セム主義者の観点を受け入れたのである。彼らは、自らの強みが知的で精神的な領域にあると考えていたユダヤ人を、農業と闘争に秀で、剛勇で筋骨隆々としたヘブライ人に変えようとした。
 私の近著(『トーラーの名において』)が示すように、大半のユダヤ人は、シオニズムを、その開始時においては拒否していた。彼らは、シオニストは最悪の敵である反セム主義者と手を結んでいると考えた。反セム主義者がユダヤ人を追い出したかった一方で、シオニストは、彼らユダヤ人をイスラエルに集めたかったのである。シオニズムの創始者テオドール・ヘルツルは、反セム主義者を、自らの運動の「友であり同盟者」であると捉えていた。
 イスラエルの学者たちは、シオニストのこのような態度、およびホロコースト期におけるその表れについてよく知っている。ゼーヴ・ステルンヘル教授(ヘブライ大学)は次のように述べている。「中・東欧に散在したユダヤ人共同体は、〔イスラエルの〕創設者にとって、主として開拓者〔入植者〕の源泉として重要だった。それら共同体はそれ自体としては何ら価値を持たないとされた。第二次世界大戦の絶頂においてさえ、優先事項の序列は何ら変わらなかった。つまり、ユダヤ人の救助それ自体は、最優先事項ではなかったのである…」。
 同じくイスラエルの学者ディナ・ポラットによると、イスラエル国家の真の樹立者たるベングリオンは、ホロコーストの時期においてこうした態度を体現していたという。ベングリオンは、「救出作戦を担うのに必要な資源を持った、強力で十分な能力を備えた公的機関を創設すること、またそうした作戦のためにシオニストの諸機構によって集められた資金を充てることに、…反対していた。このような目的のため、アメリカ合衆国のユダヤ人に相応の基金を創設するように要求することも、なかった」。
 さらに、ほかの場所でも反セム主義者といろいろ接触していたのと同様に、ドイツに派遣されたシオニストの使者は、ナチ当局、とりわけユダヤ人の移送を管理していたアドルフ・アイヒマンとのあいだで、円滑に事を運ぶための関係を築いていた。その著書がよく読まれているアメリカの歴史家で、シオニズム運動に好意的なハワード・M・サッチャーの見解では、アイヒマンは「心から協力的にパレスチナから来たシオニストの代表者たちを待遇した。彼らシオニストが将来の移出民のため職業訓練場を開設するよう請うたとき、アイヒマンは進んでそのような住居や設備の提供に応じたのである」。
 以上参照した史実は、イスラエル国家がユダヤ人の最終的な救済者であり、「もう一つのホロコースト」に対する保証であるとする、イスラエル国家の自己定義の前に立ちはだかる点で、重要性を持つ。だからこそ、イスラエル国家は、その樹立から六〇年を過ぎた今日において、世界のユダヤ人共同体に恐怖心を植え付け、イスラエルにおいてのみユダヤ人は安全であると主張することに多大な資源を投じているのである。実際には、イスラエルは、ユダヤ人にとって最も安全ではない場所の一つとなっているのだが。
 イスラエルの学者ラズ・クラコツキンは皮肉を込めて次のようにいう。「この土地に対する我々の主張は、こう簡単に言い表わすことができる。すなわち、神は存在しない、だが神は我々にこの土地を与えたのだ、と」。確かに、宗教的な修辞を用いた世俗的なナショナリズムは、シオニストの企図の根底にあり続けている。
 確かに、シオニズムは、神の介入への祈りと期待とを、政治的・軍事的な行動の呼びかけへと変えた。シュロモー・アヴィネリ教授(ヘブライ大学)は、そのシオニズム思想史の中でこう述べている。「…その情緒的・文化的・宗教的強烈さにもかかわらず、パレスチナとの精神的つながりは、ディアスポラにおけるユダヤ人の暮らしぶりを変えなかった。ユダヤ人は日に三度、神が世界を変え、彼らをエルサレムに運ぶ救出を求めて祈ることはあっても、彼らはそこには移住しなかった」。彼らがそうしなかったのは、ユダヤ教の伝統が、集団的な、ましてや暴力的な、約束の地への帰還に強く反対したからである。
 シオニストの考えが伝統的なユダヤ人のあいだでただちに反発を引き起こしたことは、ほとんど驚くべきことではない。「シオニズムはユダヤ民族にかつて現れた敵の中で最も恐るべきものである。…シオニズムは民族を殺し、その死体を王座に就けるのである」と公言したのは、一世紀近く前のラビ・イツハク・ブレウアーである。だが、ユダヤ教とイスラエル国家との融合は非常によく見られる事象である。例えばそれは、定義上はシオニストである主席ラビの制度に体現されている。一九六七年六月に占領した領域における多くの入植者たちを含む、最も非妥協的な立場をとる者たちを鼓舞しているのが、この「宗教的シオニズム」なのである。
 奇妙なことに、大半のユダヤ人が、選べるならば他の国において少数派として生きることを好むにもかかわらず、イスラエルは「ユダヤ民族の国家である」と主張している。国家は通例その市民のために存在するのであって、そこに住んでいない者のためにではないのだから、これはかなり例外的なことだ。こうしたイデオロギー的な主張は、事実として欠陥があるにせよ、重要である。イスラエルが「ユダヤ人国家」と呼ばれる場合、この呼称は世界中のユダヤ人を包含しており、ユダヤ人の歴史に関わるものとされている。この混同は危険であり、いくつかの国で、イスラエルがパレスチナ人に対して行っていることへの「報復として」、ユダヤ人に対する暴力が時として発生することにもつながってきた。強大な諸勢力が、ユダヤ人のシオニズム反対を含むシオニズムへの批判を「新たな反セム主義」として非難しようとしている。それは、イスラエルが、ユダヤ人の歴史の最高潮であり、そして反セム主義の犠牲者にとっての到達点であると主張する。だからこそ、幾世紀にもわたってユダヤ人が迫害された場であるヨーロッパに暮らす多くの人々が、イスラエルに対して公然と非難の声を挙げることに躊躇を覚えることになるのである。
 日本人はこうした歴史的な負荷からは自由である。ナチズム支配から逃れたユダヤ人難民に門戸を閉ざした私の国カナダの市民たちと違って、日本人は第二次世界大戦中に、日本のヨーロッパでの同盟国ナチス・ドイツからの相当な圧力にもかかわらず、ヨーロッパのユダヤ人を救った記録を誇ることができる。日本の在リトアニア副領事だった杉原千畝(一九〇〇―一九八六)は、政治的・官僚的な配慮などから独立した人道的な動機によって、一つのユダヤ教学院の関係者全員を含む何千人ものユダヤ人を救った。
 さらに、パレスチナ住民(ムスリム、キリスト教徒、ユダヤ教徒)の過半数の意志に反してパレスチナ分割を決定し、シオニストの企図に国際的正統性を付与した一九四七年の運命的な国連総会決議に対して、日本は責任がない。多くのヨーロッパおよびヨーロッパ起源の国々と異なり、日本はパレスチナの先住民の追放を容認したことにも、責を負っていない。分割決議は、シオニストたちに、当時はまだパレスチナ住民の少数派にすぎなかった者たち〔=ユダヤ人〕が、新たな国家という形で分離し発展するという考えを具現化できるようにさせたのである。イスラエルは、パレスチナ難民に帰還を許すことを拒否するにもかかわらず、一九四九年に「平和愛好国」と認められて国連に加盟することとなった。日本はこの決定にも何ら関与していなかった。
 このことによって、中東における平和の回復に戦略的利害を持つ日本が、イスラエルとパレスチナに関する政治論議において、理性に基づく基調をもたらすことができるかもしれないのだ。米国とは異なり、日本には議論を抑え込んでしまうような強力なロビーは存在しないから、「文明の衝突」や「収拾不能の宗教対立」という言葉を介在させて議論をあやふやにするのではなく、イスラエル/パレスチナ紛争の根本原因について率直な議論を育むことができるのである。
 日本はイスラエル/パレスチナに関して、西側諸国に常に従ってきたわけではなかった。一九七三年の第四次中東戦争直後の「二階堂進官房長官談話」〔訳注1〕は、中東地域における自主的な政策立案をめざす動きの先駆けとなった。早くも一九八一年には、国会議員の山口〔大鷹〕淑子(もと李香蘭〔訳注2〕)は、ヤセル・アラファト率いるパレスチナ人指導部を交渉の正統なパートナーとして承認するために尽力した〔訳注3〕。それから一〇年余りしてから、それまでずっと否定的だったイスラエルも、渋々その相手を交渉の正統なパートナーと認めたのである。自主的な外交政策を樹立しようという今日の日本政府による諸々の試みには、イスラエル/パレスチナに対する姿勢の再検討も入っているのではないか。殊に、米国高官らがイスラエルの政策がアメリカの中東での利益を害すると認め始めているようなときにあっては。
 最近日本語で入手可能になったシュロモー・サンドと私の上記の二冊の書物は、イスラエル/パレスチナに関する日本での議論を全開する上での手助けとなるものである。世界中のユダヤ人共同体とイスラエル国家とを区別することによって、この二冊はシオニズムを問うことが反ユダヤ的ないし反セム的であることと同じではないことを示している。ユダヤ人はイスラエルをめぐって大いに分裂しているが、ホロコーストやユダヤ人のヨーロッパでの苦難の歴史に関連して、イスラエルとユダヤ人とを混同することは、実際には、恐るべき巨大な軍事力であるイスラエルについての議論を混乱させるだけである。日本は、イスラエル/パレスチナにおける紛争の政治的分析を欧米の情緒的な視覚障害から解き放つ上で指導的役割を果たし、それによって苦悩の中にある中東の平和を促進することができるのである。
(モントリオール大学歴史学教授)
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 (注1) トーラーとは、伝統的なユダヤ教徒が、神によって啓示され、あるいは導かれたもの、と信じる書物一式を指す。キリスト教徒が『旧約聖書』と呼ぶものも、そこに含まれる。これらの書物は、神の戒律を遂行することによって神の意志に従おうとする敬虔なユダヤ教徒の生活全体を形づくっている。

 〔訳注1〕 一九六七年の第三次中東戦争における全占領地からのイスラエル兵力の撤退ならびにパレスチナ人の国連憲章にもとづく正当な権利の承認と尊重を求め、情勢の推移如何によってはイスラエルに対する政策を再検討することを示唆したもの。石油危機のもとで表明されたものだが、日本政府は、やがて次第に、この立場表明には言及しないようになった。

 〔訳注2〕 歌手・女優時代、個人としては敗戦時、漢奸裁判での処刑の危機から、彼女が日本人であることを証明するため奔走して救ってくれた、命の恩人で親友の在中国ロシア系ユダヤ人女性リューバをもち、政治家となって公人としては、中東外交にも深く関わった。

 〔訳注3〕 木村俊夫元外相が会長だった日本パレスチナ友好議員連盟の招きでアラファトPLO議長が来日し、他の先進国に先駆けて鈴木善幸首相が会見したときの、同議員連盟事務局長。

※イベント情報などは左記参照。
▼シュロモー・サンド著/高橋武智監訳、佐々木康之・木村高子訳『ユダヤ人の起源――歴史はどのように創作されたのか』3・25刊、A5判四九二頁・本体三八〇〇円・浩気社発行/武田ランダムハウスジャパン発売
【1面から】
information
 ラブキン教授は現在日本に滞在中であり、日本語版の著書刊行を記念するイベントに参加する。

 記者会見‥四月一五日(木)一五時から一六時三〇分に日本記者クラブ(東京都千代田区内幸町二―一―一日本プレスセンタービル九階)

 学術シンポジウム‥「ホロコーストとイスラエルを考える」四月一八日(日)一三時三〇分から一七時三〇分、於明治大学駿河台キャンパス、リバティタワー一階リバティホール(東京都千代田区神田駿河台一―一、電話‥〇三―三二九六―二二九二)

 公開講演会‥「ユダヤ教、シオニズムと国際関係‥ディアスポラ・ユダヤ教徒から見たイスラエル」四月二三日(金)一〇時四〇分から一二時一〇分、於東京外国語大学アゴラ・グローバル プロメテウスホールhttp://www.tufs.ac.jp/info/map‐and‐contact.html 使用言語‥英語(部分的に日本語への抄訳あり)

 公開講演会‥「パレスチナ・イスラエル問題は宗教紛争か?」四月二五日(日)一五時から一七時三〇分、於大阪城南キリスト教会(大阪市天王寺区東上町八―三〇、電話〇六―六七七二―四一五二、http://nskk.org/osaka/church/jounan)







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