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評者◆田原
特集エッセイ:辞書・事典と私――ポエムは辞書に恋をする
No.2960 ・ 2010年04月03日
辞書は私にとってほとんどの場合、最高の師であり絶対的な存在であるが、一方でまるで役にたたないことがあることも確かである。私は幼いころ中国の中原の片田舎の農村で育ったせいか、当時の生活環境のためか、小学校に通っていた数年間、私には辞書をめくった記憶がない。中国で最も小さい、手帖ほどの大きさの辞書である『新華字典』でさえ、あったかどうか今となっては記憶が定かではない。しかしその頃の私には二冊辞書があった。一冊は観念的なもの、すなわち小学校の先生と教科書、そしてもう一冊は皮膚感覚的なもの、放課後いつも同じ村の子どもたちと一緒に駆けずり回り転げ回った、果てしもなく広い平原の大地である。なぜかというと、私はその平原の地平線を見て大きくなったからである。
辞書をめくった記憶は中学に入ってからで、それは私が作文を書くのがとても好きだったからであろう。言葉に敏感になり強い好奇心を持つようになったのはこの頃だと思う。もちろん小学校に入る以前にたくさんの唐詩を暗記したことも無関係ではない。中学生になってすぐ、クラスメートと一緒に三キロの道のりを歩いて町の小さな書店に行き、辞書を買い求めたときのことは、今も目の前にありありと浮かんでくる。それは私が初めて買った辞書で、大学に合格するまでずっと、... 【現在、図書新聞を定期購読されている方】 から「ご契約者のお名前」「郵便番号、ご住所」「メールアドレス」「ID・パスワード新規取得」の旨をご連絡ください。 【定期購読されていない方】 定期購読契約が必要です。 こちらから をしてください。 |
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