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評者◆安藤礼二
「つぶやき」が無限に増殖する世界で――コミュニケーションの未知なる次元が探究される「詩人調査」(松本圭二、『新潮』)
No.2958 ・ 2010年03月20日




 文学という営為には、外部からは閉じられた、自己という密室のなかで、誰に届くあてもない「つぶやき」(ツイート)を、ただひたすら発し続けているという側面が存在する。そのきわめて不毛とも思われる行為の果てに、メッセージの発信者さえも意図していなかったコミュニケーションの新たな領域が開かれる。だから文学とは、ある意味では倒錯的で、病的な行為なのかもしれない。しかし人間のもつことのできた、現代における表現の可能性の一つ(もちろんそれは早晩滅びゆく運命にあるのかもしれないが……)であることは間違いない。そうした時代と表現の現状を最も象徴的にあらわしたのが、「小説家52人の2009年日記リレー」(新潮)である。この日記から作者たちの名前を削り取ってしまったら、一体どのような事態が生起するのか。「日記」に参加した明敏な小説家である町田康は決定的な一言を記している。「この日記を読んだ人はこの時代がどんな時代だったかまるでわからないだろう。そのうえ私がたれなのかもわからない」。
 ただ「つぶやき」だけが無限に増殖していく不気味な世界。やはり「日記」に参加した小説家・高橋源一郎は、最新の情報テクノロジーの成果であるTwitterが実現してしまったそのような状況こそ、文学のある種の本質を露呈させていると、「日本文学盛衰史 戦後文学篇(6)」(群像)において肯定的に捉えている。「ぼくは、ここにばらばらなコミュニケーションがあると感じる。というか、コミュニケーションというものなどないと感じる。『隣人』がすぐそばで自分と無関係なコミュニケーションを打ち立てる」。つまり「つぶやき」が伝えるのは、「まず人間がいること(アイコンはその印だ)。そして彼らはおのおの自分が特別であってまた特別な誰かとコミュニケートしていると思いこむのだけれど、実際は違う。コミュニケーションはほとんど存在していない。存在しているとすれば奇蹟なのだ」。すなわち、「人びとがいて、人びとによるばらばらのコミュニケーションが奇蹟のように存在している、ということを伝えるために小説は存在している、とぼくは思う」。
 高橋の論旨にすべて賛同するわけではないが、やはりこの見解には決して無視して済ますことのできない、時代の真実が表出されているように思う。実際、年齢やキャリアの差異を超えて、こうした時代に小説を書いていくことに意識的な三人の作家たちが、それぞれスタイルや主義・主張はまったく異なるものであるとはいえ、同じように、コミュニケーションが閉鎖されることと内圧の高まりによる爆発、さらにはその極限に訪れる他者との思いもかけなかった交信もしくは交響という共通のテーマで、独自性をもった力作を、競い合うように発表しているからである。石原慎太郎の「再生」(文學界)、羽田圭介の「御不浄バトル」(すばる)、松本圭二の「詩人調査」(新潮)という三つの作品である。
 石原は、視覚と聴覚を徐々に失い、自己が徹底的に「解体」され、「透明な暗黒の中での真空のような静寂」に閉じ込められ、カフカの「奇妙な虫」のようなものに変貌を遂げてしまった存在――実在する人物が自身を対象として行った伝記的な考察――をもとに、通常とは異なった視線から、「複雑な仕組みの上に成り立っている」人間同士のコミュニケーションを逆照射しようとする。羽田は詐欺まがいの教材訪問販売会社につとめ、通勤途中と業務の合間に「トイレ」に閉じ籠もり、その密室のなかで、ただ想像力によってのみ心身のバランスを現実と拮抗させ、社会的な規範をやや誇張したかたちで浮き彫りにした「会社」――それは人間を束縛する諸規則の束そのもののことである――に復讐しようとする青年の姿を、これまでになくパワフルかつ繊細に造形することに成功した。しかし、それでもまだ、一方は言葉と構成が整い過ぎ、一方は言葉と構成が破綻し過ぎていると感じる。
 コミュニケーションの未知なる次元を探究するならば、現実もフィクションも同時に乗り越えられ、「脱構築」されなければならない。そのような困難な課題に挑んだのが松本の作品である。家族内では「たばこ部屋」と呼ばれ、読みもしない無数の書物に「砦」のごとく埋め尽くされた四畳半ほどの空間に閉じ籠もり、ただひたすら「日記」ではない「もっとその、わけのわからない表現活動」、つまり強いて言えば「詩」のようなものを書き続ける一人のタクシー・ドライバー。男は「線」であり「傷」でもある言葉を連ねてゆく。その線=言葉は、「都内各地を凶暴にふらつく」ための地図、地上げによって「歯抜け」になってしまった都内の各所をつなぎ、それとともに「首都全域に散在する空白地から新宿まで物語を紡いで行く」ための地図となる。主人公のタクシー・ドライバーが作品内で作り上げ、松本が読者に投げつけた書物にして爆弾――『チェーホフ爆弾』――は、作品外でも作動し続け、爆発する時をうかがっている。現代日本語の一つの到達点であると思う。
(文芸批評)







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