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評者◆稲賀繁美
詩の解釈をめぐる争論の彼方を透視する――尹東柱(ユン・ドンジュ)「序」詩の翻訳から見えてくるもの・下
No.2957 ・ 2010年03月13日
(承前)尹東柱の「序」詩解釈において大きな論争を招いたのは、その直前、大村訳で「あらゆる死にゆくものを愛さねば」とあるのが、伊吹訳では「生きとし生けるものをいとおしまねば」と裏返された点だった。木下長宏も、伊吹訳は日本の詩的伝統に無理に引き寄せて、原詩を損なっていると批判する。伊吹は自説の正しさを抗弁しており、同志社大学構内や京都造形芸術大学に据えられた碑文にも伊吹訳が採られている。生死は表裏をなすが、原詩が敢えて「死」mortalを慈しむ姿勢に貫かれていることを確認したうえで、再び最終行に戻ってみよう。
原風景は、間島の内陸・広大な盆地から仰ぐ天蓋に輝く星が、風に揺らぎ瞬く様だろう。詩作の季節は不明だが、澄んだ秋空か、寒風荒ぶ凍てついた冬空が想起される。木下は悠久の歴史の象徴たる「星」が、地上にまでその手を伸ばし、詩人の存在を託した「風」にそっと触れる様子を感じとっている。先行する様々な解釈の葛藤を吟味した末に愛沢革(2009)は「星が風に身をさらす」と訳した。ここには遥かなる天空の存在が、大気圏の攪乱に翻弄されつつも、地上の人間に触れようとする意志が託されている。原語の受身表現は、日本語では生かし難い。とはいえ、そこに受動の語法があり、ウンダの音には「泣く」の意味も含まれている。この知識は無意味ではあるまい。とても訳しきれないこのスチウンダという音のもつ深みと多義性とを、言葉を解さない読者にも、ある程度は納得させてくれるからだ。さらにそこには、現代のソウルでは古拙とも響く北方移民の方言の雄渾な素朴さが、木魂してもいるようだ。 2009年夏、尹東柱が生まれ、中学時代を過ごした旧間島省、龍井を訪れた。旧「大成中学校」敷地内には、2002年の韓中国交樹立後、記念碑が建てられた。当時の校舎を改装した歴史展示館では「抗日教育史」が展示され、多くの韓国人団体客の寄付を集めている。説明文には尹はマルクスの著作に親しんだ旨特記されているが、日本側で知られる蔵書記録とは合致しない。韓国では抵抗・愛国の抒情詩人として崇敬されたが、日本では基督者としての内面的精神性が強調されてきた。矛盾した解釈が錯綜し、訳者同士で訳語の是非をめぐって熾烈なまでの争論が展開されてきた。 はたして詩の翻訳の重層とは、基点をなす詩人の極私的な宇宙へと収斂してゆくべきものなのか。それとも池に投げ込まれたひとつの石のように、読み継がれるにつれて波紋を広げ、拡散し反響し、増幅と減衰の内に、やがて普遍性を獲得してゆくものなのか。木下長宏の著書でも、Y章の最後に金柔政訳による訳が提案されている。「詩の国」朝鮮の宮澤賢治‐隣国のこの国民詩人の魂に触れる機会が「みなさん」にも恵まれんことを。 *木下長宏『美を生きるための26章 芸術思想史の試み』(みすず書房、2009年)(了) (国際日本文化研究センター研究員・総合研究大学院大学教授) |
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