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評者◆福田信夫
書きたいものを身銭を切って書く「太宰治・大岡昇平・中島敦」「音楽」「学生たちの叛乱」と特集三つで健在ぶり(『群系』)生きるを問う市尾卓の小説(「つかみそこねた爪痕」『季節風』)
No.2955 ・ 2010年02月27日




 本欄を6年半やってきて、同人誌が老いてなお元気なのに驚く。頁数のノルマを満たすため毎月量産される大手の文芸誌、いかに売ろうかと血眼になる芥川ショウの圏外で書きたいものを身銭を切って書く同人誌こそ文の命の宝庫である。
 今回紹介するのは16誌と最多であるが、それでも100冊近いうちから30冊ほどを選び、更に絞り込まざるを得ぬため申し訳ない。
 
 まず同人誌の老舗(1947年創刊)である詩と評論誌『日本未来派』220号は〈特集 佐川英三、緒方昇、植村諦、上林猷夫〉で、石原武、山田直、倉持三郎、細野豊が、それぞれの故人の思い出を深重に綴っていて教えられた。同誌の木津川昭夫「無名性を希求の生涯――『四季』派最後の詩人 日塔聡」は短い随想であるが、堀辰雄の下で『四季』を編集し、「萩原朔太郎追悼号」などを出し、犀星や丸山薫、神保光太郎、津村信夫、立原道造らと親しかった日塔聡(1920~1982年)の存在を初めて知った。彼は「読み人知らずの作品を書く」と言って詩作し、『ホルン』や『曠野』に発表したが、1947年9月にカリエスを病んで死んだ最初の妻の貞子の詩「私の墓は」に惹かれたので一部を引用する。「私の墓は/つつましい野性の 花に色彩られるように/そして夏もすぎ秋もすぎ/小さい墓には訪う人もたえ/やがてきびしい風花もはじまるように」。
 『双鷲』72号は、去年お互いに喜寿を迎えた夫婦(の)誌であり、詩と小説と評論・エッセイで編まれ、どれも年季がはいっている。稲垣信子の「野上豊一郞の文学を追う(2)」は、既に『野上彌生子日記を読む』全3巻を上梓している稲垣が彌生子ほどには日の当てられなかった豊一郎の生涯を追尋する労作で、さまざまな文献を駆使した「小説・野上豊一郎」になっていて面白い。稲垣瑞雄の「三つの掌編〈その2〉」は、自分の過去の罪を抉りながら今も救抜を求める不思議な私小説であるが、ユーモアも効いている。「癌の専門医たちは、まず百人中九十九人まで、自分が癌にかかったときには手術を拒むというのだ。」とか末期の眼が活写する。
 『季節風』107号は、1953年、「学生時代の友人を中心に九人で創刊し、今年で五十六歳になる。創刊後の十五年間は、季刊を厳守して年四回発刊していた(中略)現在は年一回発行(中略)いまは、創刊時の六人が名を連ねている(後略)」(同誌「後記」より)。市尾卓の「つかみそこねた爪痕」は、JR宝塚線事故の時、崩れた座席の下敷きになった若い女性を助け出そうとして救急隊員が手を差しのべるも手首をつかみそこねて死んだ女性が引っ掻いた爪痕にとどめられている思いと、自死を願い行う両側を描き、生きる方に軍配を上げる小説。市尾のもうひとつの随想「水牢のこと」は、群馬県にある水責めに使われた遺跡を10年ぶりに訪ね、往時を想像し、人間の歴史という修羅の景を描く。同誌の鈴木亮一「蘭学の泉」は、杉田玄白の「『蘭学事始』が本郷湯島聖堂の露天で古びた写本を発見、これを友人の福澤諭吉が読んで感動し、明治2年に木版本にして出版したのがきっかけとなっている。」など偶然の強さを思う。恩地延久「重村のこと」は、「私と防府高等学校の同学年で七十六歳の現在まで、それなりに親しくしてきた間柄である」重村のボケた姿と相対する寂しさが沁み入る随想。
 季刊『吉村昭研究』8号は、桑原文明の『吉村昭試論(8)地――北海道』は、吉村昭が取材旅行で北海道を150回以上訪ねており、北海道を舞台、または主要な背景にした小説作品は全作品365編のうち8%の31編を占める等々、綿密に調べていて感心したが、更に驚くのは「資料から見た吉村昭(8) A選集・等 B文庫で読める吉村昭 C著作年表(S41~50)」が詳細至極なことだ。研究会の会員は18人で、桑原は事務局長である。
 『群系』24号は特集が三つ組まれ、Ⅰが「太宰治・大岡昇平・中島敦――生誕百年の作家たち(その2)」7編、Ⅱが「私の好きな音楽」11編、Ⅲが「68~69年の学生たちの叛乱」8編、その他「論考・エッセイ」5編、創作4編その他で200頁と相変わらずの健在ぶりだ。
 『AMAZON』438号の森脇善明の「伊藤整(11)――平野謙の発見(9)――」は、伊藤の『小説の方法』のなかの「実生活の倫理的因子を、『藝』のための『手段』とするのである。」として『藝』理論からの「私小説」否定論を展開する伊藤整の矛盾を突いて教えられるが、多過ぎる引用が平野謙なのか自分なのかがアイマイなのが惜しい。
 『軌跡』53号の津坂治男「やまと魂・谷川士清(その7)その時その座標で」は、「国学ではかなりの成果を上げながら士清が宣長より一段と低い評価に甘んじているのはなぜか」と発し、種々の資料や文献を駆使して谷川士清の業績を探る労作。
 『うもれび』35号の梅原一恵「茄子の花」は2頁半の短い随筆であるが、「上手にお世話おしやすねえ」と京都弁で始まって、「御池通りと同じように、堀川通りも五条通りも強制疎開によって拡幅された道である。更にあと半月戦争が続いていれば、朝日会館の周辺の民家も取壊される予定であった(中略)。「茄子の実が一つ、木に残ったまま日が経った。」と。
 季刊の歌誌『韻』12号の崎井貫「上田三四二小論(12)植物変化相」は、桜や梅、藤、馬酔木などの花をよく歌った三四二が晩年は、花の盛りを避け、植物全体に思いを寄せるようになる経緯を優しく描く。
 季刊詩誌『GAIA(ガイア)』30号の上杉輝子の詩「秋」の最終連は、「うつうつと/沼のごとく/臓腑からわきあがってくる/いちまつの泡/不条理さだまらず/言葉もてあまし/私は/夜おそく/一匹の干魚をやく」。
 詩誌『泉』71号で「マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の光と影に(50)」を連載している田代芙美子は今回「ヴェルデュラン夫人とそのサロンの人々」を詳述し、また「(前略)幾夜かの道/水にぬれる広場で なにもない広場で/影のない人を探し/きこえるはずのない声を求めて/誰のものでもない/わたし自身の夜の闇に降りてゆく」という「夜に」という詩も書いている。
 詩誌『野路』90号の表紙絵に惹かれて手にすると、巻末に同誌の80号から89号までの表紙絵と目次が掲げられているのを幸いに、描いた髙城久子の「表紙絵に添えて」の「物品には殆ど執着心は無いが、家族の写真と18歳の日記に始まり、3年日記、10年日記、育児日記、学生時代の息子たちとの文通ファイル、このようなものが私にとって捨てられぬ宝物」という言葉は重たい。
 最後は追悼のための4冊である。
 俳句同人誌『LOTUS』15号は、一年前に他界した「阿部完市の軌跡」とする特集で、大谷清ほか5人が寄せている。同誌の志賀康の「山羊の虹―切れ/俳句行為の固有性を求めて」の連載(4回の予定)が始まったが、何かを生む力強さを感ずる文だ。
 『街道』15号の木下径子「早乙女貢さんの思い出」は、正味2頁の短いものだが、最晩年の『会津士魂』の作者の様子を嫋やかに描いて清々しい。
 『静岡近代文学』24号の竹腰幸夫「大里恭三郎論序説――歌集『錆びた鞦韆』より――」は去年亡くなった大里恭三郎(1940年生まれ)の作歌活動(1962~1971年)を詳細に追跡したものであるが、続けて掲載されている大里恭三郎の遺稿「近代作家を歌う(未定稿)・漱石の髭」は、一葉、子規、漱石、藤村から三島、深沢七郎、小川国夫、俵万智まで約30名の作家について短歌で論じたもので、例えば子規は「人間より花鳥風月美しと小説断念したる言い訳」など14首、有島武郎は「山田氏に語らしむれば経営に嫌気さしての農場放棄」など22首、谷崎は「緑雨氏は装飾品とおっしゃるが女は玩具さもなくば神」など22首。とにかく面白い。
 詩とエッセイ誌『焔』84号は、第23回福田正夫賞の発表と桜井滋人・天彦五男追悼特集。受賞作品は渡ひろこ詩集『メール症候群』。追悼特集は一昨年の9月に病死した桜井滋人と去年の8月に癌で死んだ天彦五男(本名・堀田寛)について桜木半治、竹川弘太郎、末原正彦、星雅彦ら7人が寄せていて知らなかった2人について教えられたが、特に金子秀夫「詩魂昇天――天彦五男と桜井滋人を偲ぶ――」に感動した。これぞ追悼文、と。
(文中敬称略)
(編集者)







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