書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆安藤礼二
現代を少女として生き抜くということ――たどたどしいドキュメントにこそ小説の新たな可能性が満ちる(しまおまほ「奄美のマンマーの家で」『新潮』)
No.2953 ・ 2010年02月13日




 群像に掲載された多和田葉子と諏訪哲史の対談「小説は身をひるがえす」の中で、現代の文学が課題とすべき事柄はほとんど言われてしまっている。諏訪に対して「吃ること」を全面的に肯定した多和田は、今度は諏訪が多和田自身の作品世界の本質を「翻訳」という概念からまとめるのに耳を傾け、こう答える。「文学作品とは、翻訳なんですよ」、さらには「正しいオリジナルがあって、翻訳されるうちに少しずつ間違った弱いものになっていくのではない。文学作品は変身したがっていて、変身することによって新しい時代を生き延びていくんです」とも。多和田はここで述べられているような翻訳という他者の言葉にひらかれ、変身し続ける表現の主体を、小説作品「てんてんはんそく」(文學界)では、あらゆる時空とメディアを「翻訳」を介して横断してゆく固有名「アリス」と名付けた。さまざまな音や意味と接続することが可能になる、自由に伸び縮みする「少女」の身体と。
 少女とは大人から区別され、男性のみならず女性というカテゴリーからも排除されてしまうことによって、そこに通常の感覚や論理ではすくい上げることのできない特異なつぶやきを、言語の「吃り」をもたらす。多和田の問いかけに呼応するかのように、今月の文芸各誌には軽やかに変身を繰り返す「少女」たちが跳梁している。しかし、ここで言う「少女」とは、年齢や性別によって限定されるものではない。そもそも、変身する少女の代表であるアリスでさえ、鏡文字を器用に使う「吃り」の数学者、中年の独身男性によってはじめて明確なかたちを与えられた存在だったからだ。抽象的かつ具体的な「少女」を自ら表現の主体として生き、さらに「詩」と「批評」をもった物語世界を構築することができてはじめて、前掲の対談で多和田に諏訪が答えているように(「『詩』と『批評』のないものは『小説』ではない」)、創造的な小説が生み落とされるのである。
 少女を主人公にした物語と、そこに注がれる愛情に満ちてはいるが批評的な視線。同じ雑誌の同じ号で、お互いに共振するかのように二組の対をなす作品が掲載されることになった。文藝の島本理生「あられもない祈り」と三並夏「嘘、本当、それ以外」および新潮のよしもとばなな「アナザー・ワールド 王国その四」としまおまほ「奄美のマンマーの家で」である。島本は、通常の男性作家が描く大人の男性を主人公とした予定調和的な物語からすれば、構成も言葉もやや破綻した(これは褒め言葉である)世界を紡ぎ続けているが、それでもこの作品では、たとえば「世界中から見捨てられたみたい」と自他共に考えている少女=私を特権化してしまう。それに対して三並は「少年」の視点を借りて、「あたしはひとりで世界と戦っている」と不特定多数の人々に向けてメッセージを発信する少女に痛烈な批判を加える。表現の少女性を軽やかに生きているのは三並の方であろう。
 よしもとは「王国」シリーズの完結編を、これまでの妻となる女性の視点から、大胆にも娘の視点へと転換してしまう。しかもこの娘は、親密な同性愛の関係で結ばれた二人の父に育てられ、強い意志をもった少女と同性愛の関係を結び、男同士の同性愛を経て「猫の女王」の家来となった足の不自由な青年と「性」を問題とはしない、それ故にかけがえのない絆を築き上げようとする。男と女の間に結ばれる通常の「性」関係を乗り越えた新たな家族、「私たち全員の孤独で薄く、でも柔らかくあたたかい関係」を描き尽くそうとする、きわめて意欲的かつ実験的な問題作である。
 ただし、娘の母が、自らの母の系譜に流れる自然と交歓し世界を癒す力を得る場所として、「南の島」沖縄で生活するという設定に、偶然ながらはからずも鋭い批判を突きつけることになったのが、しまおの作品である。「南の島」の、ある部分では破綻しながらも維持される家族のノンフィクションに、作り物としての「小説」は敗北してしまう。
 私はこのたどたどしいドキュメントにこそ小説の新たな可能性を見出したい。たとえば次のような一節……「わたしにとって奄美大島は『おばあちゃんのいる田舎』でも『海のキレイな南の島』でもない。祖母の作った小さな宇宙の中で繊細なルールを守りながら、微妙な緊張の中で過ごしている場所なのだ」。この小宇宙の中にさらに小宇宙を作り、つまり死の直前にすべての扉に厳重に鍵をかけ、完全な密室の中で世を去った祖母とその有様を冷静に記述していく孫娘の姿は異様な感銘を引き起こす。それは不思議の国が悪夢として現実化されてしまったような監視と密告の社会を生き抜き、一種の外国語となった母語で表現し、ノーベル文学賞を獲得したヘルタ・ミュラーのインタビュー(すばる)を読んだ際にも通じる感動である。現代の小説には、そして少女として生き抜くためには、詩と批評と、なによりも想像力と拮抗するリアルが、リアルと拮抗する想像力が必要なのだろう。
(文芸評論)







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約