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評者◆安藤礼二
一〇年紀のはじまりに立って――ジャンルの混交の地平に生み出された新たな文学作品の原型(山城むつみ「『ひかりごけ』ノート」『群像』)
No.2950 ・ 2010年01月23日




 新しい世紀となった二〇〇〇年代の最初の一〇年紀が終わり、次の一〇年紀がはじまろうとしているまさに今、文学の世界もゆるやかにだが、確実に変革の「時」を迎えようとしている。近代という時代に生み落とされた「小説」という特異なメディアがもつことのできたあらゆるジャンルの代表作を、たった一人で書き上げてしまったエドガー・アラン・ポーがこの世に生を享けてからちょうど二〇〇年がたった二〇〇九年の最後の月に、日本語で表現することを考え抜いた何人かの意識的な表現者たちが、異様ともいえる作品群を書きはじめ、また完成することとなった。書物のかたちをとったものとしては大江健三郎の『水死』(講談社)が、時評として取り上げるべき文芸誌に掲載された作品としては、今月号から連載のはじまった保坂和志の「カフカ式練習帳」(文學界)がある。ここに『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社)を刊行した東浩紀を加えることも可能であろう。
 小説家である保坂和志は『小説の自由』『小説の誕生』『小説、世界の奏でる音楽』というきわめて批評的(クリティカル)な小説原論三冊を世に問うたあと、小説を書くという実践の場に復帰した。保坂にとってまったく新たな次元である二つの異なった作品世界、群像で今回三回目となる「未明の闘争」を、文學界で「カフカ式練習帳」を、並行して書き継いでいこうとしている。いずれも、これまでにないような実験的な方法で、誰も見たことがないような世界の異相が描き出されようとしている。日本語の文法構造、小説の物語構造が脱臼され、「未明の闘争」では生者と死者が、「カフカ的練習帳」では人間と動物という互いに相容れない二つの世界が一つに融合し、時間を超えた永遠が、未知なる「テリトリー」に生きる「ファミリー」(どちらも「カフカ的練習帳」に出てくる言葉)が、立ち現れようとしている。大江健三郎は「演劇」を導入し、東浩紀はSF――科学(サイエンス)にして思弁(スペキュレイティヴ)である虚構(フィクション)――を導入する。
 世界への新たな回路をどのようにして構築していくのか。同じ一つの雑誌(新潮)で、非常に対照的な二つの対談、古井由吉を相手とした大江健三郎の「詩を読む、時を眺める」と、平野啓一郎を相手とした東浩紀の「情報革命期の文学」を読むことができるのも示唆的である。「森々」と「淼々」という二つの漢字、その間の齟齬から『水死』という作品を書き上げた大江は、外国語からの翻訳と解釈こそが、世界を把握する方法(哲学)と世界を生きる方法(文学)を同時に創出するのだという。そして東は、溢れかえる情報の海のなかで「解離」がそのままコミュニケーションのモデルとなってしまうような多次元的な表現世界を幻視する。そこでは時間と空間の蝶番がはずれ、一人の人間のなかに無数の他者が共存し、「娘の娘」が「母」となってしまう重層的な宇宙の姿が描き出される。現在のなかに過去と未来が侵入し、反復の度ごとに発散し、収縮してしまう無数の物語の系列が存在する。もはやそこで翻訳と創作、批評と小説の間に区別をつけることは無駄である。
 言葉の通じない異国を彷徨し、異国の言葉との齟齬の「間」で考えること。さらには、この世界ではないもう一つ別の世界との交点に身を置き、複数の世界との齟齬の「間」で考えること。各誌が取り組んだ新年号の創作特集のなかで、意識的な書き手たちは、大江や東とも共有される主題を自らに固有の手法を駆使して書き上げようとしている。時代の無意識に作家たちは明確なかたちを与えようとしているのだ。
 そのなかでも私が最も感銘を受けたのが、山城むつみが武田泰淳を論じた「『ひかりごけ』ノート」(群像)である。雑誌の連続企画である「戦後文学を読む②武田泰淳」を構成する一篇として発表されたものであるが、そうした枠を超えて、ここ数年に読んだ文芸批評のベストである。
 山城の批評は決して読みやすいものではない。難解で晦渋、それどころか、泰淳の『ひかりごけ』が不可避的にもたざるを得なかった「エッセイに戯曲を接ぎ木する破格の構成」、さらには戯曲形式の後半部分、その第一幕と第二幕における物語の主人公である船長の「分裂」を、そのままなぞるかのように無残に「破綻」さえしている。しかし、山城が見出した、泰淳のすべてが混じり合う「雑種」としてある世界、そこから立ち上がる分裂そのものを一つの形式とした神聖喜劇(『神曲』)としての『ひかりごけ』というヴィジョン――「第一幕を地獄篇、第二幕を煉獄篇、紀行文的な序を天国篇とみなせば、『ひかりごけ』はそれらを同時にしかも全く同じ位相において重ねて描こうとした武田泰淳の『神曲』である」――は、あらゆるジャンルが混交した地平に生み落とされる、来るべき新たな文学作品の原型とさえ言うことができるであろう。形式的な「破綻」を通じて、批評が創作の方へ乗り越えられているのである。
(文芸批評)







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