書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆前田和男
第61回 アラファト議長に教えられた日米安保の意味
No.2947 ・ 2009年12月26日




 河野は、村山政権で戦犯の一人と言われながら、二〇〇二年八月末、六〇歳の定年まで職をまっとうして、いまイギリスに留学して国際法の研究をしている。いったい何のために。社会保障を担当してきたのになぜ「国際法」なのか。なぜイギリスなのか。「はぐれ烏書記」のリタイア後としてはいささか唐突さと飛躍を感じてしまうが、理由を知らされて、感動すら覚えながら納得がいった。
 それはわずか五カ月ではあったが思い出深い首相首席秘書官の体験から発している。
 首相に同行してイスラエルとパレスチナの地を踏んだことが、河野に国際法への問題意識を目覚めさせるきっかけとなった。
 中東紛争のホットな現場で日本の平和憲法の話をいくら熱く語っても、目の前にある悲惨な事実を突破できない。その思いを強く胸に刻んで、二〇〇二年三月と六月、ふたたび河野はジャーナリストの芝生瑞和らとともに二度にわたってパレスチナを訪問し、難民キャンプでホームステイまで試みた。
 PLOのアラファト議長に会い、「われわれに何を期待するか」と質問するとアラファトはこう切り出した。「きみたち日本は日米安保条約によってアメリカと組んでいるではないか」。河野はてっきりそれをなじられるのかと思った。ところが「そこに期待したい」。河野は困惑したが、理屈を告げられて得心がいった。つまり、日本は日米安保という国際法でアメリカと国際関係をむすんでいる。だからアメリカに面と向かって言うべきことを言える数少ない国なのだと。野党となって久しい社民党にそれをやるのは難しいと思いながら、目からウロコがおちる思いだった。国際社会、国際秩序を根底から変えるという視野がなければ、イスラエル、パレスチナ問題は歯がたたない、国際紛争の解決と平和構築は絵に描いた餅にすぎないと実感した。それが国際法の意義にめざめるきっかけだった。
 国際法への目覚めは、日米安保と日本国憲法との関係、さらには国連憲章の抜本改革へと河野の問題意識を大きくひろげていく。その大きな契機は、村山首相引退劇であった。アメリカと組んでいる限り、憲法九条は空洞化の道を歩むだけという宿命にとらわれている。憲法九条は必要最小限の「実力」をもって首の皮一枚残っているが、これ以上首相の座にあって日米関係を刺激すると、その首の皮一枚も失われてしまう。そして社会党もなくなってしまう。前述したように、それが村山に退陣を決意させた究極の理由であり、河野もそう考えている。
 では、そうさせないためにはどうすればよいか。国際法のおおもとである国連憲章を「後ろ盾」にするべきだが、その国連憲章が充分に機能できないから、日米安保条約に頼らざるをえない。このジレンマを突破し、日本国憲法を守るためには国連憲章を強くしなければいけない。
 そして「それが村山への最後の恩返しになる」という思いが河野にはある。村山も八八歳。元気なうちに、こう胸を張って報告したい。
 「村山さん、国際法の根本である国連憲章を実効あるように抜本改革します。そうすれば日本国憲法と九条は守られるだけではなく、世界の平和のために積極活用されるようになります。村山さん、安心してください」
 だから、なんとしても国連憲章の抜本改革に取り組みたい。自分の生きているうちにはむりでも、その手掛かり・足掛かりはつくっておかねば死にきれない。そう河野は決意したのである。

●退職後、国際法を学ぶため英国の大学へ

 しかし決意をしたのはいいが、具体的にどうやって国連憲章をどう変えていくのか。まずは国際法の基礎研究からはじめよう。河野は、退職の二年前から、『今週の憲法』の編集長となったこともあり、国際法をどう学べばいいか予備調査をはじめた。すると、日本に国際法の研究者が少ない上に、重要な文献も翻訳されていない。したがって原典を英文で読みこなす能力が必要ということがわかった。河野は英語が得意ではない。そこで英語圏でまず読解力をつけ、それから文献を読み研究を始めるという遠大な計画をたてた。さてどこがいいか。アラブ叩きの首謀者アメリカではやりたくない。どうせなら英語の本家で憲政の本家でもあるイギリスにしよう。問題は金だ。月額一五万円弱の厚生年金の範囲内でやれるかどうか。家賃をふくめ生活費がどのくらいか下調べをしたところ、東京と並んで物価の高いロンドンはとてもむり。そこでスコットランドの片田舎にあるアバディーン大学に狙いを定めた。アバディーン大学は一五世紀に創設され、オックスフォード、ケンブリッジ、エジンバラ、グラスゴーとともに英国では最古の大学の一つである。ここなら古い文献もふくめ研究環境としては申し分ない。
 河野は社会党を退職した一年後の二〇〇三年三月、単身スコットランドへ渡り、アバディーン大学を狙うため市立の英語学校に通い始めた。一年半後、入学申請をしたところ入学の能力ありと認められ、二〇〇五年一月から晴れて大学院生になった。還暦を三歳超えての手習いだった。さらに二〇〇八年四月、論文「対テロ戦争の合法性」が、半年もかけてさんざんもめたあげくようやくパスし、法学修士になった。その内容はこの戦争が国際法上、非合法であることを証明すると同時に、武力行使禁止原則の実効性をめぐる国連憲章の不備を摘出したものだった。
 しかし、勉学三昧の英国生活とはいかなかった。二〇〇六年五月二五日、河野は「テロリスト関連捜査網」に引っ掛かって逮捕。前年七月、ロンドンで地下鉄三箇所が爆破され五六人が死亡するというテロが勃発、外国人留学生が「アルカイダ関連」容疑でさかんに引っぱられていた。通学途中にモスクがあった。その周辺を通ると私服がうようよいる。アラブ諸国からの留学生友人に深い同情を感じていた矢先だった。河野は持病の腰痛や頸痛をなだめるため、週に二回ほど公園で頭を下にして鉄棒にぶらさがる。その最中に警官が二人連れでやってきて誰何されたのでどなりつけたら、いきなり手錠をかけられて「豚箱」に放り込まれた。もちろん「アルカイダに友達」はいなかったが、逮捕の前の週、五月一七日に大学で初めてのプレゼンテーションがあり、前述の「対テロ戦争」を国際法違反であるとする論文を発表してしまったからではないかと思われる。収入は年金しかないが、イギリスは国費で弁護士をつけてくれるので、裁判を一年間たたかって、無罪を勝ち取った。
(文中敬称略)
(ノンフィクション作家)







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約