書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆齋藤礎英
セックスよりエロティックな口づけ――セックスの描写などいっさいないにもかかわらず、エロティックな情感がじわじわと高まっていくのを感じる(黒井千次「高く手を振る日」『新潮』)
No.2945 ・ 2009年12月12日




 村田沙耶香の「ガマズミ航海」(『群像』)では、バスタブで「俺のおしっこ飲んだりできる?」と男友達に聞かれた結真が「やってみてもいいよ」と答え、ペニスを咥える。結局飲み込むことはできず、全部口から垂れ流してしまうのだが、これを読んで『金瓶梅』の一節を思いだした。西門慶は、六人いる夫人のなかでも、子供ができてからは李瓶児をもっとも寵愛しており、潘金蓮の部屋を訪れるのも半月ぶりだ。淫情燃えさかる潘金蓮はいっときも西門慶を離そうとせず、小用だというのを聞いても、床を出てはせっかく暖まった身体が冷えてしまうから私の口にあけちゃいなさいよ、といって全部飲み込んでしまう。どうだい味は、と聞かれると、「ちょっとばかりしょっぱいわ」といって口直しの香茶を頼むのである。ちなみに二人とも特にそうした趣味があるわけではなく、実に堂々とした淫欲と生命力が小さくひねこびた趣味になりそうな行為を踏みにじっているとも言える。
 性描写こそ数多くあるが、「ガマズミ航海」のセックスはひどく衰弱しており、堂々としたところがない。主人公である結真にとって性行為はセックスとそうでないものの二つに分れるという。セックスではない性行為とは、性行為として一通りのことをしたとしても、口や膣による「おしゃぶり」にすぎない。それでは本物のセックスとはなにか、といやがうえにも興味は高まるのだが、読み進めるにつれわかるのは、本物のセックスとは恋のあるセックスだという驚くほど古色蒼然とした着地点なのである。セックスではない性行為にまつわる面倒(相手の男がそれを恋だと勘違いするなど)を避けるために、結真は年少の女友達と「性行為じゃない肉体関係」を開発すべく努めるのだが(「ガマズミ」はその行為の名称としてつけられた)、その結果考案されるのが互いの膣のなかに指を入れあう、というものである。男と関係をもつことより女友達の膣に指を入れることの方がより面倒が少ないというのは、わたしにはさっぱり理解できない理屈だ。さることがきっかけになり、結真はこの女友達と暴君的に彼女を拘束する男とのセックスを見るはめになる。それを見て結真は「二人がしているのは生身のAVでしかな」く、「どちらも重い足枷をはめられたままだった。男は肉体ではなく脳に性感帯を埋め込まれ、二人で必死にそれをこすっているのだ」と思うが、わたしには結真の性行為が、ひいてはそれを描きだす作者の行為がAVとどう違うのかわからない。いや、AVでさえ、愛あるセックスをうたっているものが数多いのだから、冒頭のまさしくAV的な性描写と恋した上での本物のセックスの描写がどう違うのかを読ませてくれないなら、意図においてAVにも届かないと言えよう。
 かくして、言い訳つきのAVを見せられているようで、過激な性描写にもかかわらず、「ガマズミ航海」にエロティックな感興をそそられることはなかったのだが、うってかわって黒井千次の「高く手を振る日」(『新潮』)となると、セックスの描写などいっさいないにもかかわらず、エロティックな情感がじわじわと高まっていくのを感じる。セックス描写のないのもある意味当然のことで、主要な登場人物はみな七十歳を越えている。浩平は既に妻に先立たれており、週に一度娘が訪ねてきてくれるが、ひとり暮らしである。それだけにやがてくるであろう「行き止り」を思うことが多くなり、自分で始末をつけておきたいものを整理している。学生時代のノートや手紙の入ったトランクを開けると、そこにはなにか「危険なもの」が収められていたはずだという定かならぬ思いがよぎる。そして、缶にいっぱい詰まった写真のなかにゼミで一緒だった重子の白い中国服を着た肖像写真めいた一葉を見つける。重子とは互いに結婚してから連絡も途絶えていたが、数年前、ゼミ仲間の葬式のとき再会し、奇麗な歳の取り方に感銘を受けていた。重子も随分前に夫を亡くし、一人息子を育てていることは人づてに聞いていた。といって学生時代の二人に特別深い関係があったわけではない。ただ雪の日、一緒の傘で寺の境内を通り抜けるとき、石の縁を踏み外した重子が倒れかかるのを支えたはずみに唇を合わせたことがあるだけだ。重子とそのとき既に後に妻となる女性とつきあっていた浩平とは、その後の学生生活を何事もなかったかのように過ごしていく。そんな二人が、ある偶然から再び会うようになり、やがて迫る別れの前にふとしたきっかけで若い頃の出来事がもう一度繰り返される。二人が互いに抱いている感情がどのようなものか、それが恋なのか欲情なのかまったく触れられることはないが、偶然を必然に変える二人の存在の重みは伝わってきて、規模や様相こそ大分異なれ、『金瓶梅』の男女と同じく堂々とした姿をあらわしている。
(文芸批評)







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約