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評者◆佐々木力
(3)フランスの反資本主義新党こそ、マルクス主義の本源に復帰し、人類未曾有の挑戦を始めた
No.2944 ・ 2009年12月05日




 まず、反資本主義新党に関して印象的なのは、その党の組織原則が徹底的に複数主義的で、根元的に民主主義的なことである。過去の社会主義、共産主義の運動から包括的に学ぶとしながら、アナキズムにも一定の肯定的要素があったとし、過去のスターリン主義官僚制を否定的に総括していることは当然としても、別にトロツキズム的潮流のみが正しかったとしているわけではけっしてない。マルクス主義的政治歴史理論が基軸になっていることは予想されるが、そのことすら明示的に言及されているわけではない。にもかかわらず、やはりマルクスの理論と実践がベンサイドらの指標となっていることは疑いない。トロツキイの革命理論は、一九〇五年のロシア第一革命の経験に基づく「永続革命論」であった。他方、周知のように、ロシア革命は、グラムシによって、「『資本論』に反する革命」と規定された。生産力が十分に発達した先進資本主義国における革命ではなかったがゆえに、そう特徴づけされたわけである。ところが、フランスの新党は、古典的マルクス主義へと回帰し、しかも新自由主義がこの世を謳歌し、その政治経済政策が破綻した結果として可能になったわけである。二十一世紀初頭にあって、ベンサイドらは、マルクスらの古典的発想に復帰し、ブザンスノーという十分に知的なプロレタリアを象徴的スポークスマンとして、新たな社会主義の実現のために闘おうとしているのである。
 この「根元的民主主義」という概念に関して、私が『21世紀のマルクス主義』(ちくま学芸文庫、二〇〇六年)の中で言及した陳独秀の政治思想を想起する人がいるかもしれない。この想起はけっして根拠のないものではない。というのも、私が二〇〇三年に陳独秀略伝を英文で綴って送付したのをフランス語版『インプレコール』のために仏語訳させ、掲載したのはベンサイドだったからである(第四八三号・二〇〇三年七月)。前記『党を手に入れよう』には、「民主主義を根元化する」とか、「永久的で活動的な民主主義」といったことばが登場するが、私の小論の影響とするのは解釈しすぎであるにしても、共通の考えがあったことはまちがいないだろう。逆に言えば、晩年の陳独秀の民主主義重視は、社会民主主義への妥協どころか、現代に蘇生していると言っても過言ではないのである。
 それなら、新党は大衆化のための社会民主主義との妥協の産物、ないしトロツキズム=革命的マルクス主義を民主主義の水で割ってできた産物なのであろうか? まったくそうではない。新党がめざしているのは、サルコジ大統領の新自由主義的な資本主義延命策、あるいは社会党の資本主義改良策なのではなく、あくまで階級闘争=社会運動の前進なのであり、選挙での議席確保はあくまで社会運動の前進のための手段にすぎないのである。
 このことをきわめて明確に示しているのは、ベンサイドの小論「党を手に入れる――新しい世紀、新しい左翼」(『コントルタン』二〇〇九年第一―一号)であろう。彼はこう書いている。「サルコジからオバマまで、時は資本主義の、《刷新》ないし《再建》なのであった。福音的宣教のための神聖同盟にとっては、資本主義を道徳化することなのである」。すなわち、ベンサイドによれば、新党は、オバマのように、ケインズ派的に資本主義救済をめざすのではなく、端的に、資本主義体制の打倒、社会主義建設を目標とするのである。もっとも、ブッシュとオバマの差を軽視してはならない。オバマのプラハでの脱核宣言は普遍的な意味をもつものである。
 その反資本主義的目標について、ブザンスノーとベンサイドは『党を手に入れよう――二十一世紀の社会主義のために』の中で、ごく一般的に次のように書いている。「われわれは社会的不正義と闘うがゆえに、われわれはエコロジストであるがゆえに、われわれはフェミニストであるがゆえに、われわれは反軍国主義者であるがゆえに、われわれは反資本主義的なのである」。彼らは、資本主義体制は現代社会の緊急課題としての地球規模のエコロジー的危機をもはや解決できない、と考えている。雇用の定常的安定は社会主義的政体のみが実現可能である、と考えている。高度な科学技術をもつ現代社会は、労働時間の抜本的短縮などによって労働者の安定的雇用を十分に実現できるからである。当然、公共部門は、私的企業に委ねられることなく、社会が安定的に保持する。彼らは、女性の解放は、社会主義的政体のみがなしうると考えている。軍国主義、社会的不正義との闘争は、社会主義的にのみ貫徹しうると見なしている。
 以上のような現代人類が一般的に抱えている諸問題は、レーニンやトロツキイが生きていた二十世紀前半にも萌芽的には存在しえたであろうが、本質的問題となったのは、二十世紀後半のことであった。
 なるほど、プロレタリア独裁概念、レーニン主義的党組織原則など、マンデルもベンサイドも十分には問わないままに残された問題は少なくない。そして、フランスのように左翼勢力がまずまず健在な国は稀有かもしれない。第四インターナショナル総体の未来はいったいどうなるのか、などの問題も残されたままである。が、二〇〇一年以来、世界社会フォーラムが開催され、開かれたインターナショナル組織結成の機は熟しており、マルクスの時代の第一インターナショナルのような組織形態をもった新国際主義への挑戦が近い将来開始されることはまちがいない、と私は見る。その意味では、第四インターナショナルはその歴史的存在意義を喪失するだろう。が、もしトロツキズム独自の政治勢力を維持したければ、新しいインターナショナル組織の中で、フラクション機能を展開すればいい。けれども、そのことはトロツキイを始めとするスターリンの不倶戴天の敵だった革命家の名誉が失われることを断じて意味しない。むしろ逆であろう。社会主義思潮の未曾有の危機を乗り越え、反資本主義新党のような本物の労働者大衆政党を自らの党建設者同盟の上に築きえた点をこそ、トロツキスト・インターナショナルは誇るべきだろう。第二次世界大戦直後、とりわけ中華人民共和国の成立のあと、第四インターナショナル「流産」説が盛んであった。ところが、今、戦闘的社会運動はトロツキストを中核に雄々しく再起動しようとしている。この好機をこそトロツキストたちは逃すべきではない。顧みれば、第一インターナショナルは、別にマルクス派だけによって独占的に構成されていたわけではない。ほかにバクーニンらのアナキスト派も強力であった。にもかかわらず、マルクスとエンゲルスの理論は巨大な機能を働かせた。この故知に倣うべきであろう。
 私のトロツキズムの師は、日本に初めてトロツキイの著作をもたらした山西英一先生であった。先生は私と話す時、いつも第四インターナショナルは、自らに「インターナショナルという王冠(クラウン)を頂いていることを誇ってはならないし、そのことをもっておごってはならない」と警告していた。一言で言い換えれば、セクト主義への戒めである。
 今日、フランスの反資本主義新党が新たに挑戦しようとしている任務はきわめて大きい。二十一世紀政治は、アメリカのオバマによってだけ切り開かれるのではない。フランスの反資本主義新党こそが、マルクス主義の本源に復帰し、さらに人類未曾有の挑戦を始めたのだ、と私は考える。それこそ、拙著『21世紀のマルクス主義』が提唱したプログラムに符合する危機の現代への巨大な挑戦にほかならないのである。
(東京大学大学院教授・日本陳独秀研究会会長)
(了)







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