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評者◆田辺秋守
二一世紀ニッポンの「空腹」――小林政広監督『ワカラナイ Where are you?』
No.2943 ・ 2009年11月28日




 これほどわかりやすい「空腹」を二十一世紀の日本映画のなかで目の当たりにすることを、いったい誰が予想しただろう。飽食の陰に隠れた日本の貧困は、もっと精妙な分析を必要とするやっかいなものだったはずではないのか。そうではないのだ。映画に描かれているような少年の飢えは、日本のいたるところに確実にあるだろうと思わせる。小林政広監督の最新作『ワカラナイ WHERE ARE YOU?』においては。タイトルは、少年たちの窮状を推し量ることすらできなくなっている大人に向けられた皮肉とみることもできる。
 亮(小林優斗)は東北地方の田舎町に暮らす十七歳の少年だ。父親(監督自身が演じている)は東京に出たまま音信が絶え、仕送りもない。母親(渡辺真紀子)はガンを患って病床に伏している。コンビニでアルバイトする少年のわずかな給料だけが、収入のすべてである。だが、それも母親の入院費に消え、少年はコンビニからくすねたおにぎりやサンドイッチで食いつなぐ毎日を送っている。少年が食い物をガツガツと口に入れる様子は、人間の食事というよりエサをほおばる小動物に近い。
 かつてスタンリー・カヴェルは、大恐慌時代を背景とする『或る夜の出来事』(フランク・キャプラ監督、34年)のなかのクローデット・コルベール(わがままなブルジョワ娘の役)の一夜の飢えを、知への飢餓状態と解してみせたが、この映画ではそんな悠長な解釈の余地はない。むしろ、少年の学習意欲を挫くものこそ生理的な空腹感なのだ。ただ少年は生存のゼロ点にいるわけでもない。制度や周囲の人々の手助けで少年の飢えは解消されるはずなのだ。だが、この母子家庭に「セーフティネット」とやらはまったくとどかないし、級友も含めて誰一人として少年を助けようとしない。この間日本人は相互扶助という残された数少ない美徳を完全に失った。
 さて、レジ打ちのごまかしが店長の知るところとなって、亮はアルバイトをクビになる。ついにスーパーで食い物を万引きするまでに追い込まれる。さらに追い打ちをかけるように、母親が死んでしまう。まったく身寄りのない亮には、母親を荼毘に付す金すらない。そんな亮の窮状に対して病院の経理係や葬儀屋はまったく同情を示そうとしない。意を決した亮は、深夜病院から母親の遺体を運び出す。夜明け、遺体を背負い海岸に向かう亮の歩行。海岸には日頃亮が夢想にふけるボートが置いてある。
 ボートの中で母親の亡骸と裸になって添い寝する亮のワンショットが示される。型どおりの「幼児退行」にしか逃げ道のない様子が痛々しいが、同じような境遇の少年がここから様々な犯罪へと開かれるだろうとも感じさせる美しくも緊張に満ちたショットだ。亮はボートの栓を抜き母親を水葬する。このシークエンスだけ、広々とした海を背景にしていてかろうじて開放感が与えられる。
 映画は全編亮の主観に焦点化されている。映像の運動は、小林監督がこの映画を捧げているアントワーヌ・ドワネル少年を描いたトリュフォー(『大人は判ってくれない』)というよりも、ダルデンヌ兄弟の『ロゼッタ』の少女を追う動きに似ているかもしれない。とはいえ、ダルデンヌ兄弟のように細かい断片のショットを積み重ねて少年を追うのではない。それぞれのショットはほとんどが長回しでゆっくりと少年をフレームの中にとらえる。いつも赤いTシャツとジーンズをはいている少年の背中を、カメラアイは揺れながら追いかける。首をかしげバランスの悪い姿勢で小走りする少年の身体運動は、ぎりぎりのところで何かに抗しているような運動を示す。亮の世界に対する違和感は、音によってよく表現されている。亮に聴こえる様々な生活音は増幅され、亮の主観にとってまがまがしく聞こえてくる。空腹で感覚が敏感になっているとこんな感じになるだろう。
 父親に拒絶され、あてもなく街をふらつく亮が、補導された先の警察で刑事に抗弁するバストショットの映像は、『愛の予感“THE REBIRTH\"』(07)の冒頭を思い出させる。加害者の少女の母親と被害者の少女の父親が自分たちの困惑した感情を吐露するクロスカッティングの映像である。『バッシング』(05)、『愛の予感』そしてこの『ワカラナイ』は、みな「日本の病理」を扱っていて、相互に関連性があることはたしかだが、それ以上に映像の「運動イメージ」への回帰現象として三部作をなしているように思われる。「「映画は運動だ」という映画の原点に立ち返りたかった」という小林監督の言葉は、映画作家を襲う「運動イメージ」の純粋化への衝動なのだろう。物語の背景を空白にし、「事件の渦中」から始め、セリフを極力簡素化する。あとは反復的な運動イメージがいわれのない疎外感、愛の予感、脱出への願望のような強い情動を紡ぎ出すにまかせる。
 しかし、純粋化はいつでも事柄の半面しか示さない。これらの連作の中で失われたものも大きい。かつて『海賊版=BOOTLEG FILM』(98)や『殺し』(00)に存したベケットばりの不条理なまでのユーモアや寓喩性は、最近の作品ではほとんど影を潜めてしまった。これを残念でないとは言えないだろう。
 主演の小林優斗のこの一回限りの演技とも素ともつかぬ生身の身体の実在感は、この映画のルックをみごとに決している。また、父親と一緒に暮らす年若い女の役で登場する横山めぐみの亮をとがめるような眼差しは、都会の住宅街でよく出会う排他的な主婦の表情を適切に模写していて、印象に残る。亮が凶行に及ぶ別のシナリオを一瞬想像してしまう。が、そんなことはこの映画では起こらない。ラスト近くで父親の肩越しに亮が耐えきれず父親にしがみついてくるショットがあるが、それが亮の幻想だとしても、ラストで坂の向こうに消えてゆく少年を見送るカメラアイは、あくまでも優しい。
(現代思想)







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