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評者◆添田馨
言葉を必要としない詩作品とは――『量子詩』に代表される松井茂の作品群
No.2943 ・ 2009年11月28日




 〈詩作品は、言葉で作られている〉――このことは、すでに大多数の人にとって自明であろう。しかし、逆はまったく以って真実を言い当てない。〈言葉で作られたものが、詩作品である〉とは、一義的には決して言えないからだ。だがその後に、第三の命題をあえて差し挟んでみることにしよう。〈言葉で作られたものでなければ、詩作品ではない〉――果たしてこの言い方は正しいのだろうか。このような問いを立てたのは、言葉で作られていない詩作品というものを、ここで想定したからである。
 例えば「方法詩」という考え方がある。あらかじめ記述の形式や表現のルール等を厳格に定め、作り手はもっぱらこのガイドに沿って、作品をつくりこむ。その際に、言語表現以外の方法、つまりは言葉をいっさい使わない方法的ガイドラインが設定されるなら、そうやって作られた詩は、結局のところ言葉を必要としないことになる。
 2001年以降、『量子詩』に代表される松井茂の一連の作品化の試みは、およそこうした創作原理に従って生み出されている。一見すると単なる数字の羅列だったり、幾何学的な記号パターンの組合せだったり、棒グラフ状の線形模様の集合だったりするものが、そこでは紛れもなく「詩」と定義されている。ただ、いずれにせよ、そこにパターンや構造が認められるというだけなら、あえてそれを「詩」と呼ぶ必然はない。言葉によらない構築物を「詩」の概念で呼びうるとしたら、そこには最低限、ロゴス的な美の一端が何らかの形で認知できなければならぬだろう。
 私は、未解決な数学上の難問であるリーマン予想の体系を、とてつもなく美しい「詩」だと感じる者だ。私にはそれをイメージにして展開できる力はないが、ただ、混沌のなかに未知の秩序が結晶してくる瞬間の、あの痙攣的な興奮が湧きあがるのを感じる者だ。詩が滅亡した後になおも詩を定義しうるものがあるとすれば、それは未知なるロゴスの所在を解析的に探り当てる非言語的な記号体系かもしれないことを、松井茂の作品群は問いかけてくる。
(詩人・批評家)







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