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評者◆秋竜山
漫画記号論、の巻
No.2938 ・ 2009年10月24日




 大塚英志『アトムの命題――手塚治虫と戦後まんがの主題』(角川文庫、本体667円)を読む。漫画研究書は漫画と違った面白さがある。本書の第二章〈まんが記号説はいかにして生まれたか。〉では、〈手塚治虫はその晩年、自らの表現の限界を告白したともとれる、いわゆる「まんが記号説」をインタビューその他で盛んに唱えている。それは自らのまんが表現に於ける「画」を「たまたまお話をつくる道具としての絵らしきもの」といささか自嘲気味に自己規定するものである。〉とある。手塚治虫が自分のまんがは記号と言ったとしたら、日本の近代漫画は全部?画ではなく記号ということになってしまうだろう。漫画を描くということは画でも記号でも、どっちでもよいのであって、つまりは漫画であり、漫画を描くというたのしさには変わりないだろう。手塚治虫はそのことをわかった上での記号説であると私は思う。手塚治虫の大自信である。
 〈つまり「記号」化された表現を更にカリカチュアライズしたもの、言い方を換えれば、近代のまんが表現に蓄積された「記号」を手塚まんがはデーターベース的に集積したものだと手塚によって自覚されていたことが理解できる。手塚はいわば私自身がまんが史だと語っているのであり、これは実に強烈な自負である。〉(本書より)
 手塚治虫が自分の画を記号である!!と、いうもっと前だと思う。私たち漫画仲間でも記号論で大声をあげたことがあった。五、六人の気の合う仲間であったが、みんな酒が入っていたこと、酔っぱらっていたことに問題があったようだ。もっとしらふの時に語り合うべき漫画論であった。漫画論でツバを飛ばしあう時は必ずといっていいほど酔っぱらっていたように思う。要するに、そのていどの漫画論ということになるだろう。私が、漫画は記号である!!と、言ったのが悪かった。先輩漫画家が、真っ赤な顔をさらに真っ赤にさせて、「漫画は記号ではない、立派な画である。記号だなんて、とんでもないことだ!!」と怒った。仲間はビックリした。私はもっとビックリした。私は、その二、三日前に記号論なる本を読み、漫画も記号かもしれないぞと思っていたから、口に出たまでのことであり、それ以上のものでもなかった。そして、なにがなんだかわからない内に、別の話になってしまった。本書では、田河水泡の「のらくろ」の足許に描かれてある「土煙」について述べられている。
 〈砂けむり  これはじつにおもしろい。漫画ならではの発想だ。歩く人(または動く物)がどう歩いたかを示すのに、足あとのかわりに、砂けむりのかたまりをいくつか並べる方法だ。田河水泡さんの考案した砂けむりが有名で、これは一世を風靡し、今も使っている人が多い(手塚治虫)「マンガの描き方」〉(本書より)
 この砂けむりだけ描かれても漫画そのものである。そして記号でもある。その砂けむりを「画である」「記号である」と、論じ合うのは酔っぱらいの漫画好きのするものなのか。








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