書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆福田信夫
女性が主宰する同人誌に惹きつけられた――松本清張論や野上彰論が読ませる(「生誕百年の作家たち」『群系』)尾崎放哉の生きざまを綴る(伊藤芳昭「放生閑中汗簡記」『一宮文学』)
No.2938 ・ 2009年10月24日




 今回は女性が主宰する3誌に圧倒された。
 先ず年2冊刊の『宮古島文学』第3号は、「宮古島で生まれた詩人たち」の特集で、新城兵一、岡本定勝、伊良波盛男ら8人が詩作品を寄せ、編集発行人の市原千佳子が「地形の力――池間島。その私的に優位なる風景への想い」のエッセイで、自分が生まれた島の素晴らしさを発見し、熱く解明する文体に惹かれた。「桜を見て桜だけを見ない力。自分を見て自分だけを見ない力。見る視力と見ない視力のよい関係から、よい詩は創造される。」等々に。
 同じ年2冊刊の詩と詩論誌『新しい天使のための…』4号は同人7人の詩と詩論各1編で編まれ、それぞれが詩と出会った経緯と自分の今の姿を探っているが、編集・発行人の大坪れみ子の「現代詩が目指すべきもの 石川啄木に学ぶ」は、啄木が晩年の明治43年6月に上梓した『呼子と口笛』に収めた詩8編が表紙のタイトルや目次を含めすべて横書きで書かれ、日付も西暦であることに驚いた作者が啄木の改革と自由な精神の結実を明らめるもので、歌人啄木という見方に対し「詩として読みたくなる歌」とか、明治39年の「時代閉塞の現状」で「男子の奴隷」となっている「日本の総ての女子」の自立を訴え、「必要のないかざりつけをすることは、自由詩の分野では責任逃れだ」とし、自由詩とは「いつでも定まったところから脱出する行為をあきらめない人間によって書かれる詩のことだと思う」とする。
 『惟』第4号は主宰者の紫野京子が2年前に創刊して以来連載している「風の起こる処」が圧巻である。これは22年前に「絶対有」という言葉に魅せられて「密教」なるものを知りたいと思ってきた作者が、空海(774~835年、幼名は真魚、死の直前に真言宗が確立、没後86年後に弘法大師号を贈られた)の『理趣経』や『大日経』など数多くの著作を読み、空海の生まれ、辿った讃岐、長岡京、平城宮、吉野などの空海ゆかりの寺や神社等を訪ねた紀行風な哲学的エッセイであるが、約1200年の時空の差を悠々とあざなう膂力は詩人のものである。「真魚(空海)は神や仏のみならず、『人間存在』そのものを探ろうとした。」と書く作者は真魚に化身している。作者には次の詩もある。「(前略)望むことは大切なことだ/望み続けている限り/いつか思いのままに/飛んでゆくことができる/夢見た地に辿り着くことができる/そんな子供の夢を/そのまま信じてもいいような気になってくる/白い ふわふわの 生きもののような/ひかりのなかに消えてゆく/棉毛をいつまでも見つめていると」(「草絮」)。『惟』誌の名は仏教用語の「五劫思惟」から得たもの。
 『群系』第23号は「生誕百年の作家たち」と「『私』の好きな詩 鑑賞と論考」の特集(前号も二つの特集)で評論とエッセイ系の同人誌の正横綱としての力を見せつけている。特集Ⅰは太宰治についてのラミレス・マイケルら12人が太宰(4編)、中島敦(2編)、清張(2編)、大岡、埴谷、菊岡久利、野上彰(以上各1編)を論じ、特集Ⅱは永野悟ら16人が朔太郎、犀星、中也、小柴三由紀、ランボー、尹東柱などの詩について19編。他に論考3編と創作4編と豪勢だが、小林弘子の「松本清張雑感」は、清張の『文豪』に収められている「葉花星宿」で泉鏡花が結婚問題で師の紅葉との軋轢の中で苦しむのを一方的に攻撃する清張の単純さを批判し、また清張のサスペンス第一作の「張込み」や「ゼロの焦点」における不自然さを明かす。安宅夏夫の「松本清張――本歌取りと取材の徹底――」は、清張が鴎外と蘆花、川端康成やクロフツ(英国のミステリー作家)から受けた影響を作品ごとに詳解し、昭和29,30年に発表された「断碑」と「石の骨」で学者世界(アカデミズム)の醜悪さをあばいた2作を清張の作品中の白眉とし、「天の下、新しきものなし」「『本歌取り』と『取材の徹底』が名作を生む」とする。同誌の高比良直美「詩人野上彰の足跡を訪ねて海鹿島へ」は、川端康成を師として出版事業の傍ら詩、小説、戯曲、童話を創作した野上彰が療養のために昭和15年、銚子の海鹿島にある小川芋銭の画宅であった潮光庵に移り住んだが、作者はその地を訪ね、聞き、野上への想いを綴る。明るく清い抒情に充ち、読ませる。夢二、芋銭、舟橋聖一、犬田卯、雨情、越川芳麿などの名も登場する。
 『一宮文学』第33号の伊藤芳昭「放生閑中汗簡記」は、作者が友と酒を飲みながら尾崎放哉(1885~1926年、本名・秀雄)の生まれてから死ぬまでの生きざまと俳句について綴ったユーモアたっぷりのエッセイであるが、放哉の死後46年目にして放哉の全集が成就したのは一歳上の師にして友であった荻原井泉水の友情によることを教わった。ちなみに種田山頭火は井泉水より二歳上の弟子であり、井泉水なる人物に興味が湧いた。
 SF短歌同人誌『フロンティア』第77号は、「悔恨の遠い日々(三)――戦後の回想 上」を連載している松宮静雄(編集・発行人)の短歌やエッセイ(「姉弟愛の悲歌――大来皇女と大津皇子――」)が主にして編まれ、同人どうしの作品評が忌憚なくて潔いが、松宮の病ゆえに次号で終刊という。「倒れてはならぬ身つひに倒れたり 自室より廊下に出でしばかりに」(松宮作)。
 『シリウス』第19号の宇野秀の歴史評伝「野人政治家風見章の真実――ソ連参戦をいち早く予言――」は、風見章(1886~1961年)が1944年9月に「ソ連は独ソ戦が続く間は、太平洋戦争の圏外に立っているが、独ソ戦が終われば、米英に味方をして参戦してくることは必至であ」り、「戦争に終止符を打つべき」「道を見出せなかったら、ソ連の参戦は日本にとって致命的な打撃となる」と警告した風見の早大時代の杉浦重剛との出会いと、そこの「称好塾」で知り合った中野正剛や緒方竹虎との、また尾崎秀実や細川嘉六、山本五十六らとの友情が豊かに描かれ、野人(自由人)風見章のすがすがしい生き方を活写している。作者はゾルゲ事件について「スパイ事件が存在したのかどうかを含めて、今となっては解き明かす手だてがない」とする。同誌の一ノ瀬綾の小説「我が人生 独り芝居」は、東京で28年、茨城県石岡市で14年暮らした作者が古稀直前に故郷の上田市に近い佐久市のホームを「最適な終の栖」として喜寿の歳となり、自分の娘の頃と、その後の生と小説への授賞の反響などを恬淡と描き、山水画を見る思いがした。
 『層』110号の中沢正弘「晩秋のゲート」と小田切芳郎「雪崩の谷(連載第9回)」は紙幅の都合で紹介を略すが、こういう年季の入った小説を味わえるのが同人雑誌に接する楽しみである。
 最後に『あべの文学』9号には「追悼 松浦保さん」として奥野忠昭ら11人が寄せているが、松浦保の簡単な略歴があればいいのにと思いつつ各人の追悼文から拾うと、今年3月に87歳で亡くなった松浦は6年前の春に大阪文学学校の小説部門の本科に入学し、短編小説を書く傍ら、煙草の吸い殻拾い、料理や習字、声楽や水彩画の教室に通うなど明るく、前向きで謙抑的な長老の姿が浮き立つ。(文中敬称略)
(編集者)







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約