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評者◆秋竜山
地方の空気?、の巻
No.2937 ・ 2009年10月17日




 一つだけ、わかったような気がすることがあった。それは、この本を読んでいる最中であった(そんな大ゲサなことではないけど、ネ).堀井憲一郎『落語論』(講談社現代新書、本体七二〇円)で、〈落語は都市にしか存在しない〉が面白かった。
 〈内容のないものを、納得させて金を払わせるという意味で、落語はペテンである。そして、ペテンは人の集まるところにしか存在しない。だから落語は都市にしか存在しない。一度きりのペテンなら、すごい田舎に行って掛け逃げすることもできるが、常時、商売としてペテン的話術を売り続けるには、都会でないとだめだ。人が入れ替わり立ち替わり出てこないとむずかしい。〉(本書より)
 今、政治家は地方に力を入れているようだ。考えてみれば、日本地図をながめてみれば、地方の寄せ集めで日本という形をデザインしているのである。「なんだ、地方ばっかりか」と、溜息をつく私自身地方人である。つまり、日本国においては落語というものは、あんまり受け入れられないものだ。ところが落語興行は成立している。都会があるからである。その都会も二つしかない。落語が受ける都会である。東京と大阪。
 〈江戸期の京都・大阪・江戸の三都の発展ぶりを見ると、それぞれが独立して文化的中心地として機能していたのがわかる。いくつかの文化が連携せずに、三都で同時に発生している。落語もそうである。三都にそれぞれ落語の始祖がいる。〉(本書より)
 そして、
 〈江戸落語と大阪落語は別に生まれ、別に存在し、そして現在も別にある。この先もひとつになることはない。もしなったとしたら、それは落語が滅ぶ直前のことでしかない。そういう文化である。〉(本書より)
 落語といえば、笑いである。笑いといえば、落語である……と、いうには、ちょっとばかり弱い感じもしないではないが、それでも笑いたかったら笑える落語を聞けばよいだろう。なぜだろうか。落語を地方で聞いても、あんまり笑えてこないのは。これは落語家のせいではないだろう。地方のせいかもしれない。地方を悪く言っているのではない。それは、地方の空気というものかもしれない。落語の笑いを笑いとさせない空気があるからだ。その空気を吸っている限り落語がちっとも面白くないのではないだろうか。地方落語が育たないのも、地方の空気のせいであって、その空気を都会の空気と入れ替えねばならないだろう。無理だろう。地方文化はあくまでも地方文化であって、都会のマネなんかするものではないだろう。そこで、フッと思った。「ちょっと、待てよ」と、考えた。地方で落語が大うけする場所があった。私も地方育ちであるから、そのフンイキとか感覚的に身で覚えているものがあるが、それは、地方のお寺の境内でやるということである。地方のお寺の境内は都会も地方もないのである。フスマをサッと開ければ、壇家のご先祖様が祭られてある。この世とあの世の境いの空間がお寺の境内。そこで、落語を一度バカ馬鹿しいお笑いを……と、やる。人間本質の笑いが生ずるような気がしてくる。芸能のルーツを探るとお寺の坊さんだという。つまり、坊さんは落語家であったのだ。それが決め手であるだろう。







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