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評者◆添田馨
〝裂断〟にみる滅亡の予兆――届かなくなる言葉、麻痺していく感覚
No.2934 ・ 2009年09月19日
八月に行われた衆議院選挙は、周知のように自民党の歴史的大敗に終わった。テレビでは落選した議員たちが、いわゆる敗戦の弁を述べている場面があった。その中で私が興味深く思ったのは、その内の何人かが口をそろえて「自分たちは見えない風にやられた」という意味の感想を語っていたことだった。選挙運動期間中の街頭演説会などでは、顔の見える多くの支持者らに迎えられ、感触もとりたてて悪くはなかった。にもかかわらず、結果は惨敗。「見えない風」といったのは、そんな能天気な観測を根底から裏切った大衆の、不穏な意思の総量をさして言われていたと思う。
選挙候補者と大衆とのあいだのコミュニケーションの“裂断”。一方では過剰なまでの言葉がさまざまなメディアを通じて発信されているのに、それが受け手の側にほとんど届いていなかった、あるいは届いたとしてもそれが拒絶に会っていたという非情な現実。政治理念における滅亡の兆候は、自分の言葉が通じているはずだというこの安易な見通しのなかにすでに胚胎していたのだということを、私は今回の選挙を通じて思い知ったのだった。 これに比べたら、現在、詩の言葉が置かれている状況はさらに一層厳しいものだと言えよう。決して今に始まったことではないが、詩壇の主流をなす詩作品の多くは、一般大衆の意識内部へストレートに響きあうような性格のものではすでになくなっている。しかし、詩における滅亡の萌芽が、必ずしもそのような“裂断”の内に宿っているとは、私は思わない。むしろ詩の書き手が、そうした“裂断”を既存のものと許容してしまうことで感覚麻痺となり、自分がいま書きつつあるものへ無条件に価値表現としての表徴化を施して、なんの疑念も抱かなくなったとき、本物の滅亡の予兆は影のように忍び寄ってくるのである。 なぜなら、私たちの詩には表現上の革命はおろかジャンルとしての死滅すら、もはや起こりようがないからなのだ。それはこの国で実際に演じられるのがせいぜい政権交代であり、決して革命などではないアクチュアリティと、まさにパラレルな関係にあるのである。 (詩人・批評家) |
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