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評者◆野上 暁
美空ひばりが駆け抜けた戦後の明暗と深層――文化史的かつ精神史的に穿った画期的な評伝
ひばり伝――蒼穹流謫
齋藤愼爾
No.2932 ・ 2009年09月05日




 敗戦後の歌謡界を牽引してきた歌姫、美空ひばりが亡くなって今年で二〇年。昭和の終焉とともに世を去った、不世出の大スターをテーマにしたいわゆる「ひばり本」は、四〇〇冊を下らないと言われている。そこからまた、多くのひばり伝説や神話も生み出されてきた。
 著者は、美空ひばりということで脳裏に浮かぶのは、『悲しき口笛』や『私は街の子』『越後獅子の唄』で、「そこで歌われる孤児、浮浪児、靴磨き、角兵衛獅子らは、いずれもよるべなき子どもの象徴である。秩序に馴染めず、はぐれている影の私である」と、自らの少年時代の心象を語りながら筆を進めていく。戦後満州から引き揚げてきて、父の故郷である山形県酒田市の沖合の孤島で少年時代を過ごした著者は、沖に停泊する船の拡声器から聞こえてきた、ひばりが歌うこれらの甘美な旋律にある種の光明を感受したという。
 著者より四歳年下の筆者も、この本を読みながら、ボーイッシュな少女がしわがれ声で歌うこれらのメロディーを口ずさみ、シルクハットを被り燕尾服でステッキを持ったひばりのブロマイドに、ほのかな恋情を抱いたことを思い出した。ひばりは、映画『鞍馬天狗』シリーズの杉作少年役で嵐寛寿郎と共演していたことから、当時の悪ガキたちにも人気者だったのだ。横浜下町の魚屋の娘が、その歌唱力から幼くして脚光を浴び、わずか十二歳の小学生で『悲しき口笛』の主演に抜擢されるというシンデレラ・ストーリーは、敗戦後の貧しく虐げられた子どもたちにとって、燦然と輝いて見えた。
 ひばりは、それからも『東京キッド』『とんぼ帰り道中』『父恋し』『鞍馬天狗・角兵衛獅子』『あの丘越えて』『リンゴ園の少女』と、映画と歌が連動して次々とヒットを飛ばし、一躍国民的スターに躍りだす。しかし、人気が高まるにつれて、雑誌などでの激しいバッシングが始まる。ついには、労働基準法違反だの児童福祉法違反だのといった記事まで登場する。公演にまつわる差別や妨害も後を絶たない。一九五七年、浅草国際劇場に出演中、ファンの女性から硝酸をかけられるという事件をきっかけに、以前から後見人としてひばりを寵愛していた、田岡一雄組長の山口組にボディーガードを頼むことになる。そして田岡との家族ぐるみの付き合いから、弟たちも組に関わりマスコミの指弾を浴びて、一九七三年には一七回連続出場していたNHK紅白歌合戦からも外される。
 著者は、「あくまで文化良民からの被差別の次元に寄り添っていこうとする「反近代」志向、混沌とした母なる闇への回帰、遡行の志向性が初期のひばりからは感じられる」とも述べ、そこに吉本隆明の「被支配者の最後の疎外をヴィジョンとして体現している永久革命者」という言葉を重ねる。
 ひばりの伝記は生前からたくさん出版されてきた。ひばり自身も、自伝やエッセイを四冊も残している。この本では、早い時期からからひばりの才能を評価してきた竹中労や、上前淳一郎、本田靖春、大下英治による伝記からの傍証が多い。中でも、竹中労、平岡正明、吉田司の証言が頻繁に登場するのは、反権力・永久革命者的視点への共感から当然であろう。ひばりについては、様々な分野の物書きが実にたくさんの文章を残しているが、「クラシック系の音楽家、純文学系の作家、思想家たちのひばり観が目立つ」と著者は言い、寺山修司、吉本隆明、松田修、新藤謙に多くを語らせている。
 プロローグの「〈孤島苦〉のゆくえ」から始まり、「〈廃墟〉のなかの少女」、「讃歌と呪禁」「命名神聖論」「黒衣たちの肖像」と続き全体が十六章。とりわけ、田岡一雄との出会いからヤクザの発生にまで言及した「親分と赤い靴のメルヘン」、芸能の誕生について考察した「〈河原〉と〈梨園〉」「〈異形者〉の系譜」などには力がこもる。プロローグで、「灰褐色に覆われた少年期の日々」に、一条の光が射し込むことがあったと述懐しているように、焼跡闇市の記憶が色濃く残った高度経済成長期以前、つまりひばりの少女期から二十代前半についての記述が大半を占める。
 「銀幕幻影」「スクリーンその祭儀的時空」では、日本映画の絶頂期になんと一五八本もの映画に登場していて、日本人の多くは銀幕を通して美空ひばりを知ったと述べる。今村昌平が『にっぽん昆虫記』の主役に美空ひばりを起用しようとしたが断られたというエピソードも興味深い。雑誌『平凡』の興隆期とひばりの存在の大きさ、ひばり人気にとっての『平凡』の果たした役割を、講談社の『キング』と対照して論じた「〈港〉文化と〈城下町〉文化」は、大衆雑誌文化論として卓越している。
 膨大な資料を巧妙に配して、美空ひばりの誕生からその生涯をたどりながら、彼女が駆け抜けた戦後という時代の明暗とその深層を、文化史的かつ精神史的に穿った画期的な評伝である。
(評論家)







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