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評者◆秋竜山
この、鳥獣人物戯画を見よ!!、の巻
No.2931 ・ 2009年08月29日




 自分で描いたりもするが、あの〈鬼〉。自分で描くものは漫画だから、〈鬼〉も漫画だろうか。いや鬼は妖怪と呼ぶべきだろう。いったい、どっちの鬼か。小松和彦『百鬼夜行絵巻の謎』(集英社新書、本体一二〇〇円)では、さまざまな妖怪の中に鬼も出てくる。やっぱり鬼は漫画とは呼ばないだろう。妖怪だろう。
 〈日文研本の祖本や京都市芸大本の祖本の制作者は、日本の古い絵巻や中国から渡来した画巻などを参考にしながら、創意をこらして当時の人びとが想像する妖怪たちの群行・夜行の図を描いたらしい、ということが明らかになってきました。いい換えれば、両本の祖本は、中世という時代のなかに置くことで、息づき、輝きを増すのです。(略)擬人化された動物や貝類、器物たちは、はたしてそれだけで「妖怪」と断定してよいのだろうか、という疑問です。たとえば、京都市芸大本の図柄のなかの「肩車する蛙の親子」は、それ自体で「妖怪」なのでしょうか。日文研本の蛙たちはそれ自体で妖怪なのでしょうか。もしそうだとすれば、鳥獣人物戯画に登場する動物たちも妖怪になってしまいます。〉(本書より)
 肩車する蛙の親子は京都市芸大本に出てくるが、まったく同じ姿形として鳥獣人物戯画にも出てくる。鳥帽子を被った蛙も日文研本に出てくるが、鳥獣人物戯画にもまったく同じ姿形をした鳥帽子を被った蛙が出てくる。
 〈鳥獣人物戯画と日文研本や京都市芸大本に描かれている動物の妖怪たちとの類似・影響関係については以前から指摘されてきました。小松茂美氏は、日文研本に対応する東博模本の図柄を検討した末に、「これを通じて思うのは、「鳥獣人物戯画」さながらである」(「百鬼夜行絵巻」の謎」)と評し、「鳥獣人物戯画」甲巻の一場面を紹介しています。〉(本書より)
 鳥獣人物戯画は漫画のルーツであり、日本の漫画はそれから始まっているということになっている。たいていの人が、「ヘー、漫画ってそんな古くからあるんですか」と、いう。「だから、漫画は、たいしたもんなんだ」と、私などは、いわんばかりである。これはもう、漫画のジョーシキであるだろう。もし、鳥獣人物戯画の蛙やウサギがなかったら、漫画の始まりもわからなくなってしまうだろう。そして、漫画家のインローみたいなもので、「この、鳥獣人物戯画を見よ!!」と、いうことだ。だから、鳥獣人物戯画を一度も妖怪画と思ったこともない。りっぱな漫画なのである。
 〈「百鬼夜行絵巻」と総称される絵巻のなかに描き込まれたときに、はじめて妖怪に変貌する、つまり図柄の意味が変わる、というわけです。〉(本書より)
 魚介類や器物類の擬人化によって妖怪となる。そこで、すぐ思い浮かぶのは、海の底にある龍宮城である。美女ばかりの魚たちである。頭の上に、すぐわかるように魚をのっけている。それ以外は人間の姿形をしている。もし頭の上の魚を落っことしたら、只の人間になってしまいそうだ。これは妖怪と呼ぶにふさわしいのだろうか。これがもし妖怪であったなら、浦島太郎は居座ったりしなかっただろう。まてよ。妖怪ではなく妖女であったかも。ハテ!? 妖女は妖怪であったかも。








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