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評者◆伊達政保
まさに象牙の塔そのままではないか――『戦後日本スタディーズ』全三巻(紀伊國屋書店)
No.2930 ・ 2009年08月15日
刊行が予定より遅れ、期待していただけに、読み進むうちに腹立たしくなってきた。やはり40年前に東京大学は解体した方が良かったと今更ながら悔やまれ、自分達のふがいなさを思い知らされたのだった。
紀伊國屋書店発行の『戦後日本スタディーズ』〈全三巻〉が「戦後日本」を歴史化する試みとして、カルチュラル・スタディーズの方法論に基づき、岩崎稔・上野千鶴子・北田暁大・小森陽一・成田龍一・編著により「1.40・50年代」「2.60・70年代」「3.80・90年代」と区分し、逆順で刊行されつつあった。オイラ当然のことながら、第二巻の「60・70年代」、すなわち「昭和40年代」がどのように展開されるかに関心があり、真っ先に読んだのだ。 まず本書は、編者による鼎談、個々の論文、時代の当事者へのインタビューによって構成されている。論文は「五五年体制」の政党政治論、沖縄の「反復帰反国家論」、新聞報道比較による日本にとっての「文化大革命」、三里塚や水俣の「地域闘争」、ブント史観に拘束されない「六〇年安保闘争論」、永田洋子と女性革命兵士、高度経済成長と生活革命、コミューン、アングラ演劇と唐十郎、少年マンガ、と多岐にわたっており、興味深い論点もあったが、でもこれだけでは時代を表すことの困難さというものを感じてしまったのだ。ベ平連事務局長の吉川勇一氏へのインタビューは、時代の証言者というよりも、非難するわけではないが当時を知っているだけに、老練で狡猾な政治活動家という印象を拭えない。ウーマン・リブ田中美津氏への上野千鶴子氏によるインタビューは、リブとフェミニズムの確執や、リブへの対抗意識をあちこちに感じてしまう。帯に「安保・ベ平連・三里塚・全共闘・リブ・連合赤軍・沖縄……、なぜこんな国になってしまったのか、かつて〈革命〉を信じた時代があった、噴出する〈社会運動〉の時代を検証する!」とある。キャッチ・コピーであることは分かるが、この内容では羊頭狗肉ではないか。 さて巻頭の上野千鶴子・東京大学教授、小森陽一・東京大学教授、成田龍一・日本女子大学教授による鼎談は、アカデミズムの退廃以外のなにものでもない。40年前の東大教授達と変わらないではないか。事実を捏造しそれをあたかも歴史のように語る。岡林信康や高田渡が新宿西口フォーク・ゲリラだなんて嘘をつくな。吉岡忍に聞いてみろ。かつてのカウンターカルチャーの担い手たちは細々と市民演劇をしてるんだろうかだって、あんたらと同じ大学教授になっちまったんだよ。現在のカウンターカルチャーの現場を知ろうともせずに論評する、まさに象牙の塔そのままではないか。 (評論家) |
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