書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆前田和男
第54回 小沢一郎の政治責任は重い
No.2927 ・ 2009年07月25日




 こうして仲井は、田辺の「特別秘書」という立場を存分にいかして、「首長連合構想」「二五日会」「二一世紀クラブ」という三つの「仕掛け」を巧みにかけあわせながら事務方をまわしていった。
 今から振り返ると、この時期は細川政権という戦後政治のエポックを生む準備期間にあたっていた。その仕掛け人こそが山岸章と矢野絢也であり、その装置が「首長連合構想」と「二五日会」と「二一世紀クラブ」だったと仲井は証言する。しかし、やがて矢野は社会党に対して絶望して意欲をうしない、「社公民」から社会党をぬいた「自公民」へとシフトする。もういっぽうで自民党の中枢である田中派内から小沢一郎たちの反乱が起き政治の流動化が一気に進む。それによって、山岸・矢野による政権交代の仕掛けは推進力を失っていくのである。
 こうして山岸・矢野による社公民連合政権路線が壁にぶちあたった一九九〇年代前半に、再び登場するのが「殿様連合」である。これは連載四〇~四一回で述べたので詳細はそちらを参照していただきたいが、横路北海道知事、平松大分県知事、恒松島根県知事、長洲神奈川県知事、本間宮城県知事、細川前熊本県知事、武村前滋賀県知事の七人に山岸が決起を促す親書を送る。これをうけて七人が共同提言を発表。その直後に、労働組合や市民団体が応援団をつくり、国民運動に発展させようという趣向であった。
 この経緯について、当の山岸は『「連立政権時代」を斬る』(読売新聞社、一九九五年)で仲井の名前をあげて次のように記している。

 「殿様連合を僕のところに持ち込んできたのは、仲井富さん、高木郁朗さん、横田克己さん(生活クラブ生協常任顧問)だった。彼らは、政治の現状を強く憂えて、政治改革をなんとかしようと真剣に考えていた。そのため、市民派、リベラル派の結集による新党構想も視野に入れていた。その行動の中心には仲井さんがいた。彼は、社会党書記局で青年部長などをやっていた生粋の党員で、江田派に属していた。が、後に江田三郎さんの社会市民連合に移ってそこで活動していた。政界の裏事情に通じているサムライだ。高木さんは、学者で理論家だ。社会党の政策づくりに多くかかわり、まさに理論的支柱の一人だ。この二人は旧知の間柄で、世界観も同じ、お互いを知り尽くしているし、政治をなんとかしなければ、という憂いと改革の情熱も、僕と同じだった。だから、連合会長をやっていることもあって、僕を「助っ人」に引っ張りだしたわけだ。」

 この殿様連合の推進役にもう一人が加わった。水戸市長の佐川一信である。佐川は山岸が全電通委員長時代につくった「全電通にもの申す会」のメンバーだった。また仲井によると、佐川も矢野の「二一世紀クラブ」の常連メンバーで、そこで山岸との付き合いを深めたという。このとき殿様連合の「党首」と目されたキーマンは、長洲でなく北海道知事の横路孝弘に代わっていた。これを熱心に推進したのは佐川であった。一九九三年四月に佐川の提案で、山岸、園木久治(山岸の後の全電通委員長)、横田克己、仲井らが料亭「松志満」に集った。佐川は横路が決断してくれたら新しいムーブメントが起こせると、遠路はるばる札幌まで通っては横路の説得をつづけた。佐川の仕掛けは殿様連合にとどまらなかった。それについて山岸は前掲書でこう記している。

 「殿様連合を実らせるためには、その下に、県都の首長、つまり、県庁所在地のリベラル市長を結集する必要があるという発想も加わった。殿様の下に豪族がいるという、いわば「豪族連合」という構想だ。これは佐川さんが水戸市長をした経験から発想したものだが、豪族のメンバーをそろえるまでにはいたらなかった。」

 殿様連合とそれを補強する豪族連合が頓挫したのは、それらを仕込んでいるうちに一九九三年六月の細川政権という政権交代が起きてしまったこともあるが、一九九五年に、佐川が五五歳の若さで癌で急逝したことも大きな要因だった。佐川が元気であれば、羽田政権から自社さ村山政権への蹉跌もなかったかもしれない。山岸をかついでこころみた仕掛けも大きく実を結んだかもしれない。いまもって仲井は、佐川が生きていればと彼の早世を残念がる。
 ところで、現在政権交代をにらんで北川正恭らが仕掛けた「せんたく議員連合」、あるいは東国原宮崎県知事、橋下大阪府知事、中田横浜市長らによる「共同行動」が話題を呼んでいるが、二十年近く前の「殿様連合」「豪族連合」の再来ともいえ、佐川が生きていたらなんというだろうか。
 もういっぽうで仲井が悔やむのは矢野絢也が公明党の中でリーダーシップを失ったことである。矢野は八六年に竹入義勝委員長の後を襲って委員長になるが、翌八七年の明電工を舞台にした株売買の仕手戦にからんだ疑惑が浮上、八九年に委員長を辞任し、九三年細川連立政権が成立したときには政界引退を余儀なくされ、公明党のリーダーシップは書記長の市川雄一に移る。矢野なら細川政権下で有能な官房長官をこなせたのに、市川雄一と小沢一郎で「一一コンビ」が結成され、これが細川政権を壟断し、さらには社会党を「仲間外れ」にしたことで、自社さ村山政権を生み、それによって皮肉なことに社会党は消滅に向かう。その「負の連鎖」のはじまりは、ひょっとすると矢野の党内権力失墜にあったのでないかと仲井はいう。
 さらに仲井は往時を振り返ってこう断じる。――一九九三年に政権の座を追われた自民党政権を復活させたのは、自民・社会・さきがけの連立政権である。その後は小沢の自民・自由連立から自民・自由・公明連立、そして自民・公明連立へと、当時の野党はすべて自民党政権の延命に手を貸した。その結果、自民と連立した公明以外の政党は、消滅(さきがけ、社会)・分解(自由)した。皮肉にも政権ほしさに血肉を自民に吸い取られて、十数年間も自民党を生き長らえさせたのは社会党と小沢一郎であり、とりわけ正確な情報を持たず判断ミスの多かった小沢の政治責任は重いと。
(文中敬称略)








リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約