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評者◆齋藤礎英
題は作品をあらわす――「思ひ切つた技をかけてくる藝と勢ひ」を論じる丸谷才一 ・小林信彦の一篇も、ミステリーの風味を添え、藝の力が感じられる
No.2925 ・ 2009年07月11日




 井上ひさしとの対談「大野晋への感謝」(『新潮』)で、丸谷才一は、ヴォルインスキーというロシアの評論家が、『歓喜の書』という舞踊論の冒頭で、コレオグラフィの語源をギリシャ語にまでさかのぼり(群衆を意味する「コロス」と、書くを意味する「グラフィ」)、更にこの二つの言葉から生まれたロシア語「リコヴァーチ」にトランプのときに札を向かい合わせて並べる、修道士が出会ったときに頬をくっつけて挨拶する、などとともに歓喜する、喜ぶという意味があり、こうした豊かな意味をもつ歓喜と踊ることとの関係から舞踊論を始めているのを読んで、自国語を越えた意味の拡がりをたどれることをうらやましく思い、タミル語に日本語の起源を求める大野晋の学説は、まさしくそうした拡がりをもたらしてくれるがゆえに素晴らしいものだった、と言っている。
 語源をさかのぼるというのとはちょっと違うし、日本語が対象でもないのだが、ジョイスの『若い藝術家の肖像』を論じた「空を飛ぶのは血筋のせいさ」(『すばる』)は、ヴォルインスキーをうらやましく感じた批評家としての丸谷才一の面目を示している。というのも、この論は、コレオグラフィの意味を経めぐることで舞踊の本質に迫ったヴォルインスキーと同じように、『若い藝術家の肖像』という題に拘泥することによって、作品の全容に迫ろうとするものだからである。日本語に訳してしまうと大分奇異の印象は薄れてしまうのだが、原題は九語もあって当時の英米の長編小説の題にしてはむやみに長いものであったこと、「若い」と訳される箇所が実は単なる形容詞ではなく、asに導かれる修飾句であって、「青年としての藝術家」とも「若者に扮した画家」とも読めるような「抵抗のある言ひまはし」であることから始めて、ここで言う「藝術家」が、主人公の姓ディーダラスからも明らかなように、藝術家伝説でも第一に指を折るべきギリシャ神話のダイダロスと密接な関係をもっていること、絵画の題の付け方に倣っていることから西欧絵画における自画像の伝統に言い及び、この題が『成熟した画家が描いた、ある未熟な若者に扮してゐる自分の肖像』、あるいは意訳して『イカロスの役を演ずるダイダロスの肖像』か『まだイカロスであるダイダロスの肖像』と読めることを解き明かしている(ここまでが中盤で、これ以降、この読みを裏づけするダ・ヴィンチからライト兄弟に至る人間が空を飛ぶことへの夢想、作中の飛ぶもののイメジャリ、小説中の詩のこと、小説を成り立たせる背景にあった十九世紀の思想史などが述べられていく)。「この題がわれわれをあんなに魅惑するのは、一つには、題とエピグラフとが力を合はせてこんな風に思ひ切つた技をかけてくる藝と勢ひのせいだらう。」(エピグラフにはオウィディウスの『変身物語』からダイダロスについての一節が引かれている)と丸谷才一は言っているが、丸谷才一自身の藝も十分に堪能できるエッセイである。実際、題名から作品全体を語るなどというのは、黙って座ればぴたりと当たる占い師のようなものだが、占いが様々な方法によって相手に「当たってる」と感じさせ説得する藝の力によって成り立っているのだとすれば、文章の目的もさほど異ならないはずで、批評を科学的に成立できると信じている奇特な人を除けば、こうした藝をして見せたいと思う者は多いはずだ。しかし、また、思ってもなかなか実現できないのが藝というものなのである。
 藝ということで言えば、小林信彦の「夙川事件――谷崎潤一郎余聞――」(『文學界』)もまた藝の力が感じられる。江戸川乱歩が群衆から頭一つ抜けでるほどの大男であったことを指摘することでこの一篇は始められているが、実はわたしも、特に乱歩の体型のことを考えたことがあるわけではないが、その美少年趣味や坊主姿の容貌からなんとなく小柄な乱歩を思い描いていたことがこの文章を読んで初めてわかった。宝石社で乱歩のもと働いていた筆者は、雑誌「ヒッチコック・マガジン」の創刊を準備しており、最初は自分に好意をもっていなかったらしい編集部にいた「茶色のベレー帽をかぶり、むすっとした老人」と言葉を交わすようになる。彼は新しい雑誌の手本ともなる「新青年」を出していた博文館にいた人物だった。そして彼の証言を交えながら、江戸川乱歩と谷崎潤一郎との関係、谷崎が「新青年」に『乱菊物語』や『武州公秘話』を書くにいたった経緯が語られる。「夙川事件」とは、二、三年前から寄稿を約束していた原稿の催促のために、谷崎のもとを訪れていた彼自身作家でもある渡辺温が夙川で交通事故にあって死亡したことを指している。この「事件」が、数十年の時間を乗り越えて筆者の「事件」となる結末の驚きは見事なもので、「夙川事件」という題があらわしている通りのミステリーの風味を添えている。
(文芸批評)







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