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評者◆高橋宏幸
都市と記憶――「フェスティバル/トーキョー」で上演されたPortB『サンシャイン63』『雲。家。』
No.2922 ・ 2009年06月20日




 三月いっぱいをかけて池袋を中心に行われた「フェスティバル/トーキョー」という舞台芸術のフェスティバルには、いくつもの注目すべき作品が上演されていた。それは、個々の作品が単に羅列されるだけではなく、フェスティバルという形で括られることによって、はじめて鮮明に見えてくる現在の演劇の状況を示す一つの星座であったといっていい。そのなかでもPortBという集団が上演した二つの作品は、特に注目に値するものだった。
 一つはツアー・パフォーマンスと銘打たれた『サンシャイン63』だ。この一連の作品は、劇場で舞台を観客が見るというような作品ではなく、その名のとおり観客が一つの街を参加者としてツアーする。『サンシャイン63』では、池袋の街の周辺をツアーするのだが、まず、参加者は五人一組のグループに分けられる。写真を撮る係や地図を持ち先導する係、時間を管理するタイムキーパーや行く先々で流れるラジオを持つ係など、五人それぞれに役割がふられる。指示されたとおりに、参加者はそれぞれの場所に行き、指定された行為をこなしていく。池袋のジュンク堂やラブホテルの一室、鬼子母神や墓地、もしくははるか昔の時代の面影が残るアパートの一室での箱庭遊びなど、それぞれのところでささやかな行為をこなしていく。その一つ一つをとれば、まるで他愛のない行為にすぎない。しかし、たとえば指定された場所で聴くラジオから流れるインタビューは、昔から池袋に住んでいる人が、かつての街の風景としてサンシャインビルができた当時を語るものであったり、戦犯記念碑建設に関する話であったり、個人の記憶が都市の記憶といえるそれぞれの場所と結びつけられていく。
 そして、徐々に参加者は、サンシャインビルがそびえたつ場所が、かつての巣鴨プリズンの跡地であったことがわかってくる。すると、行く先々から視界の隙間にわずかながらも必ず見えていたビルが、まるで一つの街の記憶を集積したモニュメントのように迫ってくるのだ。最後に、参加者は実際にサンシャインビルの展望台にたどり着き、劇的な終わりが宣言されることもなく、ただツアーは終わる。そこから眺める風景からは、池袋という場所がもっていた記憶のモニュメントのなかにいま「私」がいること、その記憶の一端を「私」自身も担っているということがわかる。記憶のモニュメントとしてのサンシャインビルを中心に、戦争と復興を経た一つの都市の記憶を参加者はなぞり、戦後という空間がまだなだらかに続いていることを知る。そして、いまもわれわれはその歴史のなかに生きているという感覚がおぼろげに残る。もはや、かつて寺山修司が行った市街劇がもった緊張度はなく、街歩きのツアーという弛緩した空間のなかで、やわらかな記憶の痕跡に包まれるのだ。
 そして、もう一つ上演された作品である『雲。家。』も、もちろん独立した作品として観ることもできるが、『サンシャイン63』と密接に絡み合っている。これは、オーストリアのノーベル賞作家であるエルフリーデ・イェリネクのテクストを劇場で上演したものであるが、その演出方法からは、やはり「記憶」や「歴史」といった問題が浮かび上がってくる。イェリネクのこのテクストは、ヘーゲルやヘルダーリン、ハイデガーなど数々の言葉が引用されて幾重にも折り重なってできている。その重層性のなかで、たとえばドイツが抱えもったファシズムという「血と大地」の問題を告発するような言葉が現れてくる。そのテクストはいわゆるト書きと会話によって成り立つ戯曲とは違って、ひたすらに言葉が連なってできている。その作品を日本で上演するということは、一見すると遠く離れた出来事をもってきたことに映るかもしれない。しかし、ここで上演された『雲。家。』は、おどろくほどに、われわれの問題として近接するように作られていた。
 ほの暗い舞台のなかでテクストを発して俳優やスピーカーから流れる声は、その俳優の力量も相まって流れるように響いて、逆に驚くほど居心地のよい空間になっている。ときにテクストから逸脱して、日本への留学生や池袋の街でのインタビュー、サンシャインビルの映像が挿入される。空間をテクストの言葉の重みによって、一定の緊張を強いるのではなく、やわらかくさせているのだ。言葉の重みに、始終観客は負荷を受けているというより、その声が鳴り響く声の空間のなかで、ときに言葉の断片が突き刺さるといったほうがいい。民族としてのドイツ、祖国としてのドイツ、それらの言葉が連なるテクストを、日本と置き換えても通じる世界にそこで変奏されているのだ。それはファシズムという問題が、ある「歴史」や「記憶」を要請したように、日本の池袋という街においても、「記憶」や「歴史」が忘却とともにあるということを告発している。
 ただし、PortBという集団はその告発を声高には叫ばない。ただそこにあることを示すだけなのだ。
(舞台批評)







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