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評者◆前田和男
悔やまれる江田三郎の「追い出し」
No.2922 ・ 2009年06月20日




 なぜ戦後日本ではかくも長い間政権交代が起きなかったのか、総評・社会党ブロックからの答えは明白である。それは連合(連立)政権への仕掛けが首尾よくいかなかったという戦術上の問題ではなく、やはり社会党の体質改善ができなかったという戦略的失敗につきる。ではなぜ体質改善ができなかったのか。それがいまなお悔いとして残るという高木だが、それを高木なりに主体的に総括すると次のようになる。
 社会党書記局に入局後一九六八年の「プラハの春」で、社会主義革命を標榜する社会主義協会からはぬけた高木だったが、どこかに「セクト主義者」を引きずっていたという反省がある。
 今から考えると、社会党内では西欧型社会民主主義のもっとも良き理解者であり体現者でもあった江田三郎グループを、ことあるごとに外す動きがあり、それに高木もくみすることがあった。江田三郎が提唱した「構造改革論」をマルクス主義の内部矛盾として捉え、それを社会民主主義の課題へと広げることができなかった。そして、江田率いる社会党内構造改革派を「資本を利する右派」として切り捨ててしまい、ついに一九七七年、江田は社会党を追われるように離党し社会市民連合を結成する。その結果、ヨーロッパのようには日本に社会民主主義を根づかせることができなかった。その背景には、輝かしい労農派マルクス主義の正系というレッテル意識を自分が引きずっていたからではなかったか。そう高木は述懐する。
 なお、「右派」とされた江田だが、六〇年代中葉に党内に生まれた新左翼学生運動と連動した反戦青年委員会を当初から「彼等は世界中のステューデントパワーの流れと共通した原理で動いている。そのエネルギーを生かさなければならない」と評価。後に最左派の社会主義協会からそれを批判され「反戦青年委員会排除」に転じるが、このことでも分かるように江田は運動論的にはむしろ「左派的センス」をもっており、「右派」と規定して排除するのは大いに問題があった。また、高木によれば、労働運動における「真性右派」である民社党と同盟がもっとも怖れていたのは、江田三郎が社会党でしかるべき地位にすわることだったという。一九五九年の右派領袖・西尾末広追い出し(後に民社党を結成)の急先鋒がむしろ江田派だったという歴史的な怨念とともに、これも、「真性右派」は、右派路線、一見「右派」と思われる江田の構造改革路線に左派的運動へのつながりの可能性を見ていたからにほかならない。いずれにせよ、「江田排除」は悪しきレッテル貼りの最たるものであった。
 高木とならんでジャーナリズムの立場から社会党の応援団をつとめてきた石川真澄(朝日新聞論説委員)も、村山富市とのやりとりで、似た指摘をしている(前掲『そうじゃのう』)。
 石川は村山にこう問いかける。「社会党の個々の政治家たちは建前として長いこと本物の社会主義者だった。決して社会民主主義者じゃなかった。社民だなんて言われたら、もう社会主義者としては「おまえ、死んだ」と言われるも同じだった」。すると村山は「社民=改良主義でね」と相槌をうつのである。これは、一九八六年の「新宣言」で社会主義革命の党でなくなったにもかかわらず、社民に強い抵抗感があるという、当時の社会党員の本心を代弁しているといえるだろう。
 さらに高木は、江田三郎に対するセクト的な「追い出し」に加えて、社会党を西欧的社会民主主義から遠ざけてしまった要因のひとつとして、興味深い指摘をする。
 それは浅沼稲次郎に遠因ありとする説だ。浅沼自身は社会党内最右派の領袖だったが、「日中共同の敵・アメリカ」論者で知られていた。すなわち党内最右派は親中国派、いっぽう最左派の社会主義協会は親ソ連。どちらにしても日本社会党の対外的な付き合いの幅は、ロシアから以東のアジア(中国・北朝鮮)と地政学的に大きく偏っていた。これが災いして、遠いヨーロッパの社会民主主義が社会党に入ることが阻まれたのではないかというのである。

●民主党をリベラルと社会民主主義の連合へ

 では、高木の失敗の連続の原因を探りあてたところで、それを未来に、すなわち来るべき政権交代にどう生かすのかを最後に探ってみたい。いうまでもないことだが、それは政権交代のための政権交代であってはならない。政権交代が自己目的化されると、細川政権、自社さ政権の社会党の轍を踏むことになりかねないからだ。いま現在、かつての社会党の立ち位置に近いのはいうまでもなく民主党だが、政権交代にかなう「体質」になっているとはいいがたい。政権交代にかなう「体質」というのは日本の明日をどのように描くかという戦略的課題のことである。もし民主党が「体質改善」を先送りし、政権交代を優先させれば、当時の社会党の轍を踏むのではないかと高木は危惧する。
 その貴重な体験者である高木に、「未来の水先案内人」として、政権交代にむけた民主党への提言を聞いてみよう。
 高木からすると、民主党はリベラル派と社会民主主義派の連合へと「体質改善」すべきだという。リベラルといっても、高木のいうのは政治的リベラル。現実政治で相似形を求めるとすると、労働組合やマイノリティに依拠するアメリカ民主党内のリベラル派であり、政策的にはヨーロッパの社会民主主義者に近い。オバマのグリーンニューディール政策の源泉もここにある。しかし日本の民主党では、松下政経塾出身者に顕著だが、経済的な意味でのリベラル主義(小さな政府、市場原理主義)が優勢だ。その結果、民主党の中の社会民主主義的な志向をもつグループの基盤が小さくなってきている。そのことに高木は危機感を抱く。
 では、民主党の中の政治的リベラルと社会民主主義的勢力をどう強めていくのか。まずは理念とビジョンとそれに基づく政策の確立である。それは政治勢力としては当然の大前提であるのだが、民主党も旧社会党と同じところがあって、せっぱつまらないと理念や政策に議論が及ばない。戦略的にどういう国をつくるのか、例えばワークシェアリングでいくのか、高負担高福祉国家でいくのか、中国をふくむ東アジアの国々とどのような安全保障の枠組みをつくるのかなどなど、そうしたグランドデザインを描く場所も機運も党内にみられない。高木は、社会党のように遅きに失してとりかえしがつかないことになる前に、民主党内の政治リベラル=社民主義派はそれに取り組むべきだとしたうえで、つぎなる提案として、地域に地盤を持った組織政党に変わるべきだという。
 高木にいわせると、民主党は社会党を反面教師にしすぎたために、地域に足のない議員集団党になってしまっている。その足腰の弱さを克服するためには、たとえば環境や介護や子育て支援、さらにはコミュニティビジネスなど新たな課題を求めて続々と生まれつつあるNPOとつながること。また、労働組合に対しても「過去の遺物」と切り捨てるのではなく、地域に根付いて今もネットワークをもつ「地域評議会」や「退職者会」とも連携をつくりなおす。そんな中から候補者が選ばれていくリクルートシステムを構築していくべきだとする。
 そうしたローカルな地固めをする一方で、グローバルな志向を持つべきだと提案する。かつてクリントン政権の時代、機能不全に陥っていた「社会主義インターナショナル」にかわって「リベラルインターナショナル」をつくるという構想があった。これは頓挫したが、今こそオバマの米民主党と結んで、世界の政治的リベラル・社民勢力にむけて「リベラルインターナショナル」を提唱したらどうか。ローカルであると同時にグローバルな政党連携というのは、なかなか魅力的であり示唆にも富んでいる。
(文中敬称略)







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