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評者◆小野沢稔彦
日本映画の寒々しい風景を作り出した原因は何か――批評性ぬきのズブズブの馴れ合い、タレ流しは、まさにこの国の現状そのものだ
No.2921 ・ 2009年06月13日




 実に寒々しい映画状況が、この国に蔓延している。緩いのである。面白くないのである。タレ流しの自己満足のみが横行しているのである。今日、信じられない程に「映画」は量産され、日々消費されており、「映画監督」という人種はジャーナリズムの中に溢れる程いるけれど、この国の映画をめぐる情況は絶望的に暗い。今や、消費される娯楽としてさえ有効性を失っているのだ。そこにあるのは、実に矮小な人におもねった低劣な笑いであり、叙情ならぬ、抒情らしさだけなのである。
 さて、この日本映画の風景を作り出した原因はどこにあるのだろうか。以下、簡略に列挙してみよう。1作品の生成過程の歴史性を無視し、批評性を内在させない――批評性こそ作家性だろう――タレ流しの映像のみが横行していること。2お手軽な仲間ゴッコによって安易な役割分担がなされ、なぜこの映画が作られねばならないかが、相互に問われることがない。3手軽なコンパクトタイプのデジタルハイビジョンが、映像のタレ流しを拡大する――ハメ撮りの横行。4製作体制も相変わらずの護送船団方式であり、参加員数の最低の映画的了解点が作品基準となっている。良心的プロデューサーであればある程、映画に何かを求めることを諦め、安易な抒情らしさに寄りかかり、作ることのみを目的化している。6この絶望的映画状況の時代に、雨後のタケノコの如く作られる映画学校の教師――自らで映画への問いを発することに疲れた人々――による、既得権維持のための教え子への甘い対応が、ますます若い作り手たちを増長させている、などがすぐに思い浮かぶ。勿論、劇映画とドキュメンタリーでは多少の差異はあるとしても、問題の本質においては変わらない――批評性ぬきのズブズブの馴れ合い、タレ流し。まさにこの国の現状そのものを映している。
 では、思いつくままにこの間観た映画へのコメントを書こう。まずドキュメンタリーから。今年、私が最初に観た作品は『遭難フリーター』だと思う。この度し難い自己正当化のタレ流し映像を見せられることから今年のドキュメンタリーを観ることは始まったのだ。上映中の『チョコラ』。私はこの作品の監督・関係者の誠実さを疑うものではない。しかし、個的な誠実さが作品の質に繋がるものではないという当たり前のことを、ここで確認しておきたい。多分、アフリカ・ケニヤのNGO法人を撮る企画から出発したこの作品は、そのNGOの現実の悲惨さ――子供たちの決定的幽閉による訓育の現実――に、途中から方向を変え、路上生活の子供たち「チョコラ」(スワヒリ語で「拾う」)を追うことに転換したのだが、どうしようもなく暗い表情を帯びた幽閉された子供に比し、溌剌としたチョコラの輝きはきわめて対照的なのであり、そのチョコラの存在によって、自己の作り出す状況を問うこともない大人への批判の視点さえもが――撮ることの内実も問われている――生れているのだ。しかし、映画はついに大人を問うことはしない(製作資金!?)。字幕一行で良かったのだ――ある時点からNGO法人を撮ることを止め、チョコラを撮り始めた、とすれば。その他、家族の問題や売春の現実など、それらの全てが子供に関わるにもかかわらずなぜか映画は通り過ぎたままだ。ただ日英のNGOの子供への向き合い方の帝国主義的対応の差異は、妙に納得させるものがあった。
 数日前に観た『花と兵隊』。自らの必然として見つけ出したのではないテーマの問題性がもろに現われていて、作り手は自らの同時代人として残留兵を見ることを決してしない。ただ外国に残らざるをえなかった奇異の人としての映像をタレ流しただけではないか。
 次いで劇映画。『ひぐらしのなく頃に 誓』。なんともタルイ。日常の底に潜む怖さと、人の心性に潜む暴力性は浮かび上がることなく、ただ虚しい映像がカラ回りしている。次いで『ブラッド』。せめてエロス映画としても何とかしないと。ワンカットの映像と全篇を貫く「美」とは違うことぐらい知ってほしい。シナリオもひどいが、それをどう映画にするかを考えぬままに、まとめたひどさは何だ――映画になど関心のない女優の意向だけが透けて見える。
 北海道のPR映画としても中途半端な『ジャイブ』。才能ある監督が一般映画に抜擢された途端、これ程に全てにわたって緩い映画を作ってしまうことに、私は映画のツマラなさ以上に、一つの才能を体制の内に取り込みズタズタにする、この国の文化を巡る体制の巧妙な戦略を見る思いさえするのだ。
 私が様々な意味で期待を持って観た『ニセ札』。一言で言えば、どこまでも「普通」の映画となっていて、苦い思いにとらわれざるをえなかった。この極めて重く、多様な展開が可能なテーマを、これ程普通のドラマにした関係者の無能力に慄然たる思いさえするのだ。魅力的な体制とスタッフにもかかわらず、結果としてこんな普通の映画はなぜできたのだろうか。制作に関わった関係者のバラバラな思惑の違いと、少しずつの妥協の結果がこの普通さなのではなかろうか。これでは監督キム兄ィの売り出し(吉本の戦略)としても半端なものにしかならない。役者としてのキム兄ィも、例えば『松ヶ根乱射事件』のあの飄逸な役者ぶりからは信じられぬ程に、普通の役者でしかなかったのだ。
 最後に一本、私のお薦め作を記しておこう。ドキュメンタリー『精神』(想田和弘監督)である。私は彼の前作『選挙』は、選挙の作為された非日常さとインチキさは剔抉したけれど、そのバカバカしさの背後にある権力性の闇に一切手をつけないという作為によってダメな映画だと思っている。しかし、今度の作品は彼が直接・全面的に「人間」に向き合うことによって傑作となっている。相手に向き合うことは、作り手である自分に向き合うことだ。
 なお、私は評判の『愛のむきだし』を観ていない。
(プロデューサー)







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