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評者◆齋藤礎英
空虚な「世界」と土地の魔力――単焦点的な郷土文学ではない二都物語――藤沢周「キルリアン」(『新潮』)
No.2920 ・ 2009年06月06日




 わたしはブックガイドのたぐいが割と好きで、特に年に数回、ミステリーやSFが無性に読みたくなったときなど、このミスなどを引っ張り出して眺めていると、あれこれと目移りし、そのうち選ぶことの方が楽しくなって、実際に読む分になると、二、三冊も読み終わると、今回はこれぐらいにしておこう、となるわけである。そんなわけで、『群像』の特集、「海外文学最前線」は、最近なかなか紹介されることのない各国の小説が薦められているとあって、期待をもって読み始めた。 
 しかし、一通り目を通して、ブックガイドの一番の楽しみである、あれこれ目移りしながら選ぶ快楽をちっとも与えてくれないことにがっかりした。スペイン語圏、イタリア、フランス語圏、ドイツ、イギリスおよび英語圏、ロシア・東欧、アメリカ合衆国、中国、韓国があげられている国(語圏)で、中東もアフリカの一国もなしに「最新世界文学入門編」(冒頭にあるリード)もないものだと思い、多かれ少なかれ気にせざるを得ない隣国の中国と韓国を除けば、サミットの顔ぶれとさほど変わらないことを気味悪く感じた。これらの国(語圏)が文学における主要先進国だというのだろうか。そして、サミットで論じられる「世界」がひどく抽象的であるように、各項で取り上げられている小説はいずれもひどく抽象的な「世界文学」を目指しているようにしか思われなかった。実際にどうであるかは、読んだことのない作品ばかりなのでなんとも言えないが、各紹介者の筆致に抽象的な「世界文学」などには解消されない小説の固有性をなんとか伝えようとするもどかしさが感じられないのだ。もし「世界文学」が空疎な言葉でなくあるのだとすれば、とてもこの原文にある響きや味わいを翻訳や紹介によっては伝えられないだろうが、それでもあまりに心を魅せられてしまったので、翻訳せずには、紹介せずにはおれない者たちのネットワークが徐々に広がって、やがてそれが「世界の文学」になるということ以外にないだろう。一昔前のラテンアメリカ文学の「ブーム」はまさしくそうしたきっかけで起こったものではなかっただろうか。そうしたもどかしさのない紹介が続くので、あたかも推理小説やSFと同じ「世界文学」というジャンルがあって、それについての市場調査を読まされているような気分になったのである。
 こうした空虚な「世界」から鎌倉に眼を転ずると話はぐっと身近になって、その空気までが肌に感じられる気がする。それはわたしに多少の土地勘があるためでもあろうが、もちろん、それ以上に、藤沢周の「キルリアン」(『新潮』)が、あげて、鎌倉にひそむ気配、その肌触りをとらえようとしているからにほかならない。「キルリアン写真」とは「生体や幽体のオーラを写す」ものらしいが、この小説はまさに、「何処を歩いても現実の軸が狂うような磁場ばかり」の鎌倉をさまよい歩く男が、もやもやと立ちのぼる土地の気が凝ったかのごとき「幽霊のような女」と会話を交わし、「絡まり、蔓延る。のたうった夥しい静脈が土から黒く濡れ光って露出し、群がりの様が貪婪な網のようにも見える。木々の根がびっしりと地面を覆い、人体の解剖図で見た腎臓の血管群を思わせもして、木楢やイヌシデやスダ椎などの植物が軟体動物のようにじわじわと浸食してくる感じだ。長く風雨に晒されているせいか、それとも鎌倉時代からの天文学的な数の足跡がそうさせたのか、節くれた根のすべての稜線が黒光りして、その中に血が通っているようにも見える」と蠢き始めるかのような鎌倉の坂で足を取られて泥だらけになりながら、薄暗い浴室に主のように居座る巨大な土蜘蛛の「可視光ではない紫外線を見ることができる」視野でこの土地の姿をとらえようとするような小説なのである。しかし、この小説が鎌倉という八百年以上もの歴史をもつ古い街の、人間が往来し生活してきたことによって出てきた照りを描くことにとどまらないのは、鎌倉の風景の向こうには男の故郷である新潟の風景が広がり、単焦点的な郷土文学ではない二都物語となっているからだ。どこにいようが男のなかには「新潟の茫漠とした雪景色が眠って」いて、「同語反復のような、何処か際限がなく宇宙の果てでも想像するような狂いに近い所が恋しいのか」というようなことを男は思う。別の箇所にある表現を引用すれば、人と「風景との浸透圧がイコールになった」状態に誘う場所だということで、歴史の分厚い堆積のうちにたたずむ鎌倉と茫漠とした雪景色が広がる新潟は奇しくもそうした魔力をもつことにおいて共通している。そして、鎌倉と新潟という男にとってかけがえのない二つの場所が、かけがえのなさを失うことなくつながっていく様を描くことで、この小説は「世界」とは数カ国の集まりで決められるのではなく、このように具体的に広がっていくのだということを教えてくれる。
(文芸批評)







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