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評者◆杉本真維子
「心に」 ~忌野清志郎のこと   
No.2919 ・ 2009年05月30日




 メディアをとおしてしか知らない人、一度も会ったことのない人が、亡くなったことで涙を流したことは一度もなかったので、忌野清志郎が亡くなった翌日、ニュースを見ながら、喉が熱くなるほど泣いている自分にびっくりしていた。熱心なファンだったとはいえないし、コンサートにも行ったことはないのに。なぜだろう。なぜこんなに悲しいのだろうと、問いかけながら、私は小学校三年生のときに、親に買ってもらった「い・け・な・い ルージュマジック」のレコードのことを思い出していた。両親に聞いても、買った覚えがないというので、忌野清志郎に興味を持ってはしゃいでいる母を見て、自分で近所のレコード屋へ行って買ってきたのかもしれない。とにかく私の記憶では持っていて、きっかけは、この曲の、当時はまだ珍しかったプロモーションビデオをテレビで見たからだった。
 坂本龍一とのキスシーン、札束を入れてぱんぱんになった上着をふたり同時に風のなかでひらいて撒き散らすところなど、何より、あの奇抜なメイクは、とんでもなく衝撃だった。そのいでたちと、「他人の目を気にして生きるなんて/くだらない事さ ぼくは道端で 泣いてる子供」という歌詞が完璧に合っていて、ああ、こういうこともしていいんだ、と、〝常識を逸すること〟の素晴らしさみたいなものに、生まれて初めて、心をふるわせた。縛られていたものから自由になった、ということではなく、制約だとか自由だとかいう概念が形成される前にいきなり取り払われたような、何も判断しないゼロ地点というものがそのまま子ども心と地続きになって、現在まで通じているという感じだ。
 だからといっていま私が、何からも自由でいるかといえば、そんなはずはないのだけれど、少なくとも、大多数からはみだしたものを嫌悪するような気持ちはあまりなく(というより、欠如しているといったほうがいいくらいだが)、そういう部分を自分のなかに育ててくれたものの一つに、まちがいなく、忌野清志郎の存在があるのだと知った。
 でも、私は、この悲しみがよく消化できない。前記したような、小学生時代の思い出だとか、高校生の頃、憧れの先輩がRCのコピーバンドをやっていて、もの凄く楽しみに見にいったことだとか、そんな自分なりの「青春」が幕を下ろしてしまう気がするのは、納得できない。亡くなっても、心に生きつづけているはずではないのだろうか。やっぱり、心にではなく、実際に、生きていなければだめなのだろうか。「心に」ってなんなのだろう。







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