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評者◆添田馨
死滅さえをも美に変える力――高貝弘也詩集『子葉声韻』(思潮社)の幽玄の世界
子葉声韻
高貝弘也
思潮社
No.2919 ・ 2009年05月30日
高貝弘也の詩集『子葉声韻』(思潮社)には、ノンブルが一切打たれていない。つまり、この詩集は最初の頁から順を追って読まれることを、そもそも期待されてはいない風なのだ。その証拠に、どの頁、どの行から読み始めても、あるいはどの連、どの区切りで読み終えても、独自の完結した言葉による幽玄の世界が、そこには異次元の明るみのように幻出するのである。
「霊合いの。たましひ、多麻之比よ。/生まれなおし、産みなおし。/くるりとむいて」――これは音なのか、イメージなのか、あるいは隠れた実在の象徴なのか。“共感覚”という言葉が高貝氏の作品には相応しいと、私はずっと思ってきた。表記された言葉は、時には音声として、時には色彩として、また時には突き刺すようなメッセージの断片として互いに自己主張しながら、しかも驚いたことに、決して排除しあうことなく紙面の中に同居している。実に多彩な言語感覚の躍動と飛翔を、読む者はそこで体験することになる。 「ヒシバッタ 跳び/遠い樹の、筆跡。」――自分の作品を “mental sketch” と呼んだのはかの宮沢賢治だが、それは心に浮かんだイメージやリズムを瞬間ごとに切り取ってくるような、どちらかと言えば即興的な手法であるだろう。高貝氏の作品もそういう意味では、どれも達意の筆勢で描かれた言葉のスケッチ、あるいは言葉の破墨画といった趣が強くある。たとえば彼の鉛筆で描かれた直筆原稿などは、文字とも視覚像ともとれる、まさに一幅のグラフィックそのものなのだ。 「目を閉じた鶏 積まれている//(あなたは祈った、)/家禽が野鳥と交わらないように」――ひとたび野鳥と交わってしまえば、未知の疫病に冒されて死滅してしまう鶏の大量の死骸……。その姿はまさに詩の暗喩でもあるだろう。だが、その死滅さえをも美に変える力が、彼の作品にはある。その力が彼の詩を強靭にしているのである。 (詩人・批評家) |
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