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評者◆小嵐九八郎
岡井隆氏の挑戦を祈る――岡井隆氏は、短歌のちいさな器にどれだけ思想性の魂を吹きこめるのかのぎりぎりのところを潜ってきた
No.2916 ・ 2009年05月02日




 さて、今回も岡井隆氏についてであり、その〝総括〟篇である。
 なぜ、かくも俺がこだわるのかというと、恥ずかしながら小中学校時代の石川啄木以来忘れていたのだが、短歌に関心を抱いたのは四十歳も見えてくる頃、新潟刑務所内で、道浦母都子さんとか福島泰樹氏の歌を読み、そのリズム、敗北と言わば言えその抒情、そして、そのすれすれの思想性であった。そのうち〝偽りの自己演出〟の寺山修司とか、〝宙づりの情念〟の平井弘氏とか、〝小説以上の虚構と譬喩〟の塚本邦雄に嵌まってゆく。
 しかし、決定的ツメをよこしたのは、
《市民兵に転化してゆく時あらばわれらもい行くことあらば、妻よ》
の岡井隆氏の一首である。
 この歌は、一九五九年の作で、六〇年安保の攻防の前哨戦あたりを想起させた。ゲバラの言った「革命とは、おのれの命を捧げること」ほどの決意はしにくいけれど、そしてイエスの語る「父、母、妻、子供(中略)更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない」ほどの至言には追いつかないけれど、この一首は、「反乱〓愛する人、暮らし」という身近で切実な具体としてのテーマを問いかけているからだ。現今の派遣切りに合う人人、失業中の人人が、もっと突き詰めていくと、この課題に向き合うしかないであろう。否、進行中の辛いことだ。
 つまり、短歌のちいさな器にどれだけ思想性の魂を吹きこめるのかのぎりぎりのところを岡井隆氏が潜ってきたからこそ、こだわるしかないのである。むろん、「饐えるばかりのイデオロギーに生涯従順であれ」なんつう悲しいことを言いたいのではない。
 小説はともかく、短詩型文学は、たぶん、もっともっと盛んになる。ケータイの短いメールの言語がその宝庫となっているゆえに。それは、大歓迎である。軽い、遊び、準スローガン風が繚乱するであろう。しかし、文学には、どうしても思想性の棘がないと、飽きがきて強度を保てない根がある。老いてのなおの岡井隆氏の挑戦を祈ってしまう。







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