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評者◆増田幸弘
編集の仕事と人との出会い
No.2915 ・ 2009年04月25日




Mixi、飽きたよね」。ぼくのまわりでそんなことをいう人が最近、なぜか多い。いい年をした大人が、どうしてそんなことを言い出すのか、よくわからない。が、ともかくなにか潮目が変わってきたということなのだろう。

 Mixiの特徴は、会員になるには人の紹介が必要で、本人のプロフィールを公表するのが望ましい、ということであり、それが初期のころのうりだったと記憶している。匿名性を基本とする2チャンネルに対し、Mixiでは記名性を基本としたわけである。そこに信頼感があり、会員制クラブのようにちょっと謎めいているところも惹かれる部分だった。

 とはいえ、実際に本名を明かしている人は少数派で、ほとんどは匿名だった。招待制といっても、自分で自分を招待することができ(規約では禁じられているが)、さほど意味があるわけではない。

 Mixiは「マイミク」という“友人”を増やし、広げていくのが基本的な仕組みだ。細分化されたさまざまなコミュニティがあり、そのコミュニティを自分でつくることもできる。そこに参加することで、趣味や嗜好を同じくする人と意見や情報の交換ができるというわけだ。

「マイミク」になるにはその申請をする。実際、ぼくのところにも一時期よくメッセージが届いたものだった。別に害にもないだろうからと「承認」していくと、知らないうちに「マイミク」がどんどん増えていく。しかし、実際には知りもしない人との関係に違和感を覚え、知らない人を「マイミク」からはずすようになった。結局、「マイミク」はみな実際に知っている人ばかりだ。

 Mixiの奇妙なところは、見ず知らずの人が突然、「泊めてください」というメッセージを送ってきたりすることだろう。「一緒に飲みたい」といってきたり、「仕事の世話をしてほしい」とか、果ては「プラハで売春をしたいので、どうしたらよいのか」と言ってくる人もいた。

 こうしたメッセージが届くたびに不快な気持ちになった。「泊めてください」とはいったいどういうことなのだろう。なぜ知らない人の仕事や売春の世話をする必要があるのだろう。まして売春を斡旋するなんて犯罪行為だ。その分別さえ、感じられないのである。

 別にぼく自身は、Mixiの熱心な参加者ではない。情報のソースのひとつとして認識はしているが、それ以上でも以下でもない。ただの遊びだ。しかし、「マイミク」の数を競ったり、盛んにやりとりをしている人の様子を見ていると、どうして人が人に対して、これほどつながりを求めているのだろうと不思議に思うことがある。

 新聞や雑誌の仕事をするようになった25年ほど前といえば、原稿を入稿したり、ゲラをチェックするのは編集部に出向くのが基本だった。その場で次の仕事の打ち合わせになったり、編集部に来ていた別の人を紹介されたりした。編集者に連れられ、新宿などに飲みに行くことも多々あった。とくに校了日は飲みに行くのが通例で、よく明け方まで飲んでいた。

 酒を飲みながらたわいもない話をしているうちに、新しい企画があれこれ生まれたりした。単なる思いつきも、取材をしてみると実におもしろかったりした。青臭い話をして、息巻いたりもした。先輩から貴重な助言を得たりもした。そのときの情景やちょっとした会話の内容を、いまも鮮明に覚えていたりする。そして、そんなふうなつきあいをした人たちとは、いまもつきあいがつづいているのである。

 ファックスが普及しはじめると、入稿は編集部に出向くが、ゲラのチェックはファックスでするようになった。ファックスマシンはずいぶん高かったが、編集部に行く手間が省け、楽になったと感じた。忙しいときなどは、ファックスマシンからファックス用紙が延々と流れつづけるような日もあった。

 さらにパソコン通信で原稿を送るようになると、編集部に行くのはカメラマン任せになった。さらにインターネットの普及で画像も送れるようになると、編集部に顔を出すことはほとんどなくなった。編集者と顔を合わせるのは忘年会のシーズンだけなんてこともあった。担当の編集者と一度も会わなかったなんてこともあった。

 ファックスマシンにパソコン、デジカメと、どれも機器を導入することで実現できるものばかりだった。それで時間が節約できるものだから、そのころは嬉々としてこうした機器を導入したものだった。新しい技術を疑うことはほとんどなかった。

 いまプラハにいて日本の仕事ができるのは、インターネットの存在があってこそである。ファックスも備え付けているが、もはや過去の遺物となりつつあり、使ったのは3年間でわずか1回だけだった。
 
 この四半世紀のあいだにうまれた新しい技術によって、ほんとうにいろいろなことが可能になった。しかし、新しい技術によって失われた数多くのものもある。その最大のことは人に会わなくなったことだろう。それを補うかのように人びとはMixiに人との出会いの機会を探し、ブログを通じて人とのつながりを求める。

 メディアがだめになった一因が、記者や編集者が人に会わなくなったことにあるのもたしかなような気がする。会うとすれば身内だけだからなのだろうか。週刊誌のネタはなんだかどれも身内ネタばかりで、正直、読んでいてちっともおもしろくない。

 昔はよかったなんていうふうには思えない部分があるにしても、ぬくもりのある、血の通ったものをつくらないと、なんて思ったりもする。取材をするとは人との出会いがすべてなのだから。







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