書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆小野沢稔彦
〈名指し〉の暴力とポスト・アメリカニズムの闇――ハナ・マフマルバフ監督『子供の情景』
No.2915 ・ 2009年04月25日




 平和と民主主義と理性と啓蒙を〈教義〉とする民主社会(=軍事独裁グローバリズム)が、21世紀に辿りついた地平は〈名指す〉ことの政治によって、自らが幻造した〈敵〉を、その存在の根底から抹殺することなのである。その抹殺戦、アフガンの戦争と現代世界の現実を批判するシンプルで美しい映画『子供の情景』(ハナ・マフマルバフ監督)が公開される――映画が発する、生きるために死ね! 名指しの戦争の内実を暴き出す、この悲痛な叫びが観る者を撃つ。では〈名指す〉ことによって生まれる殲滅戦とは何か。それは軍事力・経済力の絶対的優位を背景に、何も持たない弱者に対し、お前は「テロリスト」だ「タリバン」だと宣明することによって――ついに名指しは、中世の物語言葉「海賊」にまで到った――「敵」を作り出す言語のテロリズムであり、国家テロルを形成する「無限の正義」の方法(=戦争)なのである。そして、私たちはその一翼を担っている。
 さて21世紀の戦争映画『子供の情景』(20世紀のそれ、『禁じられた遊び』と比較せよ)。アフガンの少女は隣の少年の読む民話に心魅かれ、読むこと・書くことを学ぶため、学校へ行こうと思う。そのための準備過程と、学校までの長い道程での試練。そこで経験する世界の現実と新しい途の模索。何より執拗に戦争ごっこを仕掛ける悪ガキとの遭遇。この時、悪ガキと少女を善玉、悪玉に分割してはならない。彼らの総てが戦争を生きている。アフガンの日常――「戦争とは平和のことである」(A・ロイ)現実――の描写の中に、子供たちの「遊び」が刻明に描き出され、そこに現出する戦争とそれへの批判とが浮上する。子供たちは戦争(一方的殲滅戦)の影響を受け、状況を〈真似〉て「戦争ごっこ」に熱中している。確かに。しかし同時に、彼らは戦争を演じつつ、日常化するそれを内在化し、遊びにおいて問い直し、その内実を更新し、新しい情況を作り出す。彼らが問うのは、名指すことが存在を抹殺する現実である。彼らにあっては、遊びの内実は固定化されることなく、その内部から更新され、再創造される。その創造力は、大人の制度的試行を揺るがせるが、しかし、大人は真似ることが再生に繋がる運動性であることに気づかない。戦争ごっこは、やがて子供を殺人兵士へと変身させるだろうか。そこには、身体への制度となった教育・訓練が媒介するのであって、その制度性への批判をぬきに、戦争と遊びとを直結することはできない。そして、名指しこそ決定的な訓育の制度ではないのか。子供は大人の世界を真似ると、したり顔に納得することこそが制度性なのであり、その制度性は戦争を産む。
 少女は「学校」という制度へのキップ(象徴としてのノート)を手にするため、社会と向き合い工夫をこらし、何とかそれを手にし学校へと向かう。学校までの冒険の旅は――イランのキアロスタミを想わせる――憧れの旅である以上に、アフガンの現実を追体験する苦難の旅である。その渦中での最大の試練こそが、悪ガキとの遭遇であり「戦争ごっこ」に巻き込まれる体験なのである。恐怖の石埋め刑や拉致などと戦いながら、それでも少女は学校へと向かう。道中、少女のノートを奪ったガキが、それで紙戦闘機を作り飛ばすシーン(ゲリラに戦闘機などない)や、車の通らない道での交通警官との遭遇などにはアフガンの今日が苦く刻印されている。警官の無意味なあり様と作られた所作は――かつてこの国のジャーナリズムにアフガンの英雄的ムジャヒディンと喧伝された戦士の現状なのだろう――日本などの支援の下で作り出される官僚制のバカバカしい現実であり、それを当惑した表情で見る少女との絶対的断絶こそが、ポスト・アメリカニズムの闇を告知している。
 ようやく少女は学校に着くが、そこに彼女の席はない。すったもんだの末、子供たちは教師の無関心の外で自らの遊び(彼女が鉛筆がわりに持ってきた口紅を使った化粧ごっこ)を始める。教室は、子供たちの遊び空間となるが(教師と学校の描き方は、ハナの心象か。姉の作品『ブラック・ボード』と比べ興味深い)、彼女は学校を放り出され、再び恐怖の中の彷徨を強いられる。少女は少年を呼び続ける。出会い。それは戦争の中への回帰である。
 戦場――刈り入れの畑での悪ガキと少女との対峙。このシーンは単に戦争ごっことしてだけではなく、重層的な象徴性を帯びた幻想的シーンとしてある。黙々と作業する農夫は――彼らは拉致された子供と同じ覆面を被っている――教師と同じようにまったく子供に関心を向けず(戦争への沈黙の同意)脱穀した麦を空中に放り上げる。その飛沫の中では、全てがオブラートにつつまれたようであり、世界から無視され、戦いを強いられるアフガンの現実が幻像のように浮かび上がる。その中を自在に動く悪ガキと沈黙する農夫と為すすべもなく立つ少女。この長いショットは、中世の聖史劇やKKK団の人種差別主義儀式を連想させ、この現在が中世から現代までの人間の悲惨さの歴史を集積した象徴的シーンとしてあり、その中でアフガンの戦争を演ずる子供たちの「死」によってしか生きようのない現実が、見事な映像美の中に浮上する。そして決定的シーンがやってくる。
 悪ガキに包囲された少女は、少年の発する「生きたいなら死ね」の声に呼応して突然あおむけに倒れる。まさに〈自爆テロ〉(この国のマスコミがタレ流し、私たちも呪縛されている名指しの名辞)の真実を身体的に表象した決定的シーンであり、倒れる少女こそは、民衆の〈摂理〉の暴力を身体化した、きたるべき民衆性の予感なのであろう。子供たちは私たちの制度化された想像力を超えて、自らの生の途をさぐっている。少女の飛翔する身体性は〈新しい生〉の途を発見しようとする子供たちの悲痛な実践そのものではないのか。その子供たちの中に何を視るのか――しかし、生は今「生きたかったら死ね」という情況の内にしかないのだ。







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約