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評者◆前田和男
キーマンは横路北海道知事
No.2915 ・ 2009年04月25日




 「山岸親書」が送られてから、佐川らによって工作がはじめられたが、殿様連合構想にはアキレスの腱があった。それは、キーマンが横路孝弘だったということだ。裏を返せば、横路が動かなければこの構想は頓挫するということでもあった。実際、長洲神奈川県知事に協力を働きかけたとき、長洲から、「横路が乗るなら自分も乗る」と言われたという。裏を返せば、横路が乗らなければ長洲も乗らないということだった。
 前掲の「アエラ」によれば、佐川が横路に直接会って、「決起」を促したところ、「今後、国政に復帰する場合には、真剣に新党を考えないといけないでしょうね」という趣旨の発言をしたというが、横路の腰は重かった。高木もまた、連載冒頭で記したように東大社青同の先輩でもあり、積極的に接触し説得を試みたが、反応はにぶかった。
 横路にも言い分はあった。革新系知事の旗手として仕上げの三期目にあったが、「世界食の祭典」で九十億円の赤字と関係者に自殺者を出すという苦境にあり、軽々には動けない状況にあったからだ。
 理由はともかく、結局横路がなかなか腰を上げず応援団がイライラをつのらせているうちに、後に触れるように、衆院が解散、細川内閣による政権交代が実現し、殿様連合構想は幻に終わってしまったのである。
 高木にいわせれば、社会党ではなくて地方から日本の新しい道をつくるリーダーとして登場する絶好のチャンスだったのに、横路はそれを逸してしまったといまだに残念がる。
 当時、殿様連合構想は、平成維新の会や日本新党とならんでマスコミを大いにさわがせたが、いまでは平成維新の会と同じく、完全に忘れ去られて、戦後政治史の諸論考でまずふれられることはない。その理由はともに構想だおれになってしまったからにほかならない。
 高木としては、これで諦めずに、殿様連合を継続的に発展させられればと考えていたが、この政権交代期に山岸は連合会長でなくなり、高木は「策動」の根拠地をうしなうことになる。このあたりは自分で演技ができない「シナリオライター」のつらいところだと高木は述懐する。
 また、佐川は佐川であきらめず、工作をつづけた。細川政権が成立し、殿様連合の一頓挫が明らかになった九三年八月、佐川は前年に三期目の当選を果たしたばかりなのに市長を辞任、茨城県知事選に打って出るも惜敗。それは、殿様連合が頓挫しようとも、自分が殿様となって地方から中央政治を変えてやるという決意表明でもあった。そして、佐川は浪人をしながら、持論の「地方から中央へ」の工作をつづける。
 注目すべきは、山岸が殿様連合を中央レベルの政治変動=政権交代への起爆剤の手段としようとしていたのに対して、佐川は単なる殿様たちの「共同提言」にとどまらず、新党づくりにまで突き進もうとしたことだ。当時新党運動を展望していた江田五月のシリウス、また東京の「市民リーグ21」など地域に「ローカルパーティ」を立ち上げ、それをネットワークさせて「中央新党」を模索する動きとも連携を模索しつづけた。しかし、佐川は「自社さ」政権で自民党へ政治がゆりもどされた九五年、志半ばで癌で急逝する。正確にいえば、これをもって、高木と佐川の殿様連合構想は潰えたのである。二〇〇八年、佐川の一三回忌に追悼集が編まれた。六〇五ページの大部に八三人もが文を寄せているが、もし佐川が生きていたら政治は変わっていたのにとその早世を惜しむものばかりであった。
 いっぽう殿様連合のキーマンとしてかつがれた横路のその後はどうだったのか。細川政権ができてからも、横路中央政界復帰待望論がしきりであった。
 当時から十余年たち衆議院副議長に納まった重鎮の横路からは想像しがたいが、当時は政界再編・新党運動の期待の一番星だった。
 ちなみに、一九九四年一月十九日付「朝日新聞」朝刊は、連載「「連立」回り舞台」で、「北に横路あり 駆け巡る中央復帰説」と題して、次のような記事を掲載している。

 横路コールはなぜ起きるのか。まず、社会党のスター不足、そして政界再編への期待である。土井たか子氏が社会党委員長を降りたときも、田辺誠氏が降板したときも、後継候補に横路氏の名があがった。九二年暮れには、現首相の細川護煕氏、現官房長官の武村正義氏から「一緒にやろう」と口説かれている。武村氏は「細川さん、横路さんと三人でやるのが夢」といまでも語る。

 こうした輿望に横路がようやく応えるのは、一九九六年九月のことだ。北海道知事を三期一二年、満期いっぱいつとめあげて、民主党結成に参加、社会党からの合流組の受け皿的存在となる。しかし、そのとき政権交代劇の主役は、小沢一郎が自らの新生党に日本新党、民社、公明の一部を糾合した新進党であって、横路が参加した民主党ではなかった。
 ところで、高木が佐川らと仕掛けた「殿様連合」は過去の幻の物語ではなかったようだ。
 歴史は繰り返す。二〇〇八年三月、前三重県知事の北川正恭が「せんたく」なる平成の民権運動をたちあげたが、高木がしかけた殿様連合構想と似通っている。
 「せんたく」とは、正式名称「地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合」。坂本龍馬のひそみにならって日本を「洗濯」するとともに新しい「選択」肢を国民に提示しようという運動であるが、「地域から中央へ」の志向は殿様連合と同工異曲である。
 それよりなにより、発起人の顔ぶれである。北川のほか、宮崎県知事・東国原英夫、神奈川県知事・松沢成文、佐賀県知事・古川康、京都府知事・山田啓二など「殿様」が名をつらねている。
 また「せんたく」が政権交代が必至とされる次期衆議院選挙を睨んだ動きであることも、高木・佐川の殿様連合と企図は同じである。「せんたく」の今後の展開いかんによるが、殿様連合は運動としては頓挫、幻におわったものの、コンセプトと手法はまだまだ有効なのかもしれない。
(文中敬称略)







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