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評者◆蜂飼耳
待つインコ
No.2912 ・ 2009年04月04日




 その文具屋は、店の中に籠を置いて、檸檬色のインコを飼っている。一羽。ほっそりした体つきのセキセイインコだ。天気のよいとき、籠は店の外へ出される。籠のなかには、乾燥したイカの甲が取りつけられている。インコはときおり、そこへひたと取りついて齧る。よく見ようとして近づくと、インコの黒目に、こちらの顔が映る。猛烈に齧る。鳴き交わす仲間はいない。けれど、それはかえって気楽なことかもしれない。いつも機嫌よく囀っている。どんな意味だろうと、声に耳を傾ける。受け取れても、理解できない。だからこれは歌なんだ、と思う。
 店の前を通ったら、おもてに何枚も貼り紙が出ていた。赤い字が「閉店セール、五〇%引き」と告げていた。天気は曇りで、インコは外にいなかった。店内へ足を踏み入れると、棚という棚が、がらんとしていた。品物はあらかた売れてしまった後だった。インコの籠の定位置は、さまざまなサイズの紙がしまわれている引き出しつきの棚の上。声を立てない。少し元気がないようだった。止まり木の上で、首を左右に傾げる。もしかすると、環境の異変に気づいているのだろうか。
 こぢんまりとした店内を巡り、残っている品物を見る。巻き紙。一本だけ残っていた。手に取ってみる。使うあては思い当たらない。棚へもどす。定規や朱肉や単語帳。すべての文具は、元気がないようだった。新品なのに、そう見える。黒いペンと赤いペンを買うことにする。そもそも、文具屋の店内でインコが飼われているのはなぜなのか、長いこと不思議に思っていた。おつりをもらいながら、訊いてみる。「インコに名まえは、あるんですか」。すると店主は、いともあっさりと答えた。「ないです」と。そうなんですか、うちの猫にも名まえはないんです、とつけ足したくなったが、黙っていた。「店の前に落ちてきたんです、夏の暑い日に。死にそうだったから、もう駄目かなと思いながら水をやったら、元気になりましてね」。「落ちてきたんですか」。「ええ。そのうちに飼い主の人が探しに来るかもしれないと思って、飼っていたんですけど」。店主は言葉を切った。
 時間が経っても、結局だれも探しに来ることはなかったのだ。店も、あと幾日かで閉めようとしている。「ここを通るといつも見ていたんです、インコを」。「ああ、そうですか」と、店主はつまらなそうに応じた。どこか悪いのではないかと思うほどに、青白い顔。きっと残務処理などで、鳥どころではないのだ。
 目の高さよりも高いところに据えられている籠へ、指を近づける。インコは寄って来ない。同じ位置にいて、止まり木を握り直す。餌の容器には、粟や稗の粒が入っていた。その食べ物も、店の人が文具を一つ一つ売って働いているおかげなんだよ、と心のなかでインコに話し掛ける。そんなこといわれても、という顔つきでインコはこちらを見た。それから首を曲げ、嘴で自分の片足を突ついた。
 店の外の台には、なぜかドライフルーツの袋が並べられている。パイナップルや無花果、ナツメやバナナ。食べ物を売ったり、インコを飼ったり、ずいぶん変わった文具屋だな、と通り掛かるときには眺めていた。ドライフルーツを買ったことはなかった。買う人を目撃したことも、なかった。文具屋で売られているドライフルーツは、文具の一種のように見える。口には入れられないもののようにも見えるのだった。その景色も、もうすぐなくなる。町の小売店が消えていく。見納めだな、と思いながらインコの檸檬色と別れて、歩道を進む。あ、と気がつく。店の人がインコに名まえをつけずに来たのは、元の飼い主が探しに来る可能性を思い、待っていたからではないだろうか。別の名を与えてしまうことに、抵抗があったのではないか。閉店したら、その翼あるものは、人目に触れなくなるだろう。元の飼い主はいまごろどこでなにをしているのだろう。







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