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評者◆齋藤礎英
人間の馬鹿さ加減と顔のある他人――戌井昭人「まずいスープ」(『新潮』)は、都会の孤独と湿った家族関係の両極を右往左往することなく、小説として成功している
No.2910 ・ 2009年03月21日




 戌井昭人の「まずいスープ」(『新潮』)を今月最も楽しく読んだ。語り手の「おれ」と友人の正章が、しばらく行方不明になっていてようやく居所を突き止めた「おれ」の父親「よういっちゃん」に会いに伊豆の伊東へ車で向う。その車中、ラジオで聞いた二つの演目が、くしくも人間のわけのわからなさをあらわす双極を示していることに語り手が気づく場面がある。
 一つはビリー・ホリデイの「奇妙な果実」である。正章はこの曲のもとになった写真を見たことがある。「ひでえんだよ、黒人二人がボロボロにリンチされた挙げ句、木にぶら下げられているの。で、その下に、人が群がって見物してんの。ほんと意味わかんねえ人間」。もう一つは古今亭志ん生の「粗忽長屋」である。そそっかしい男が浅草の観音さまの行き倒れを見て、これはおれの知りあいだから、当人を連れてきて引き取らせると言ってその当人を呼びに行く。死んでいるとされた当人は、死んだという実感もないのだが、重ね重ね言われているうちに段々死んだような気持ちになり、自分の死体を引き取りに行く。寺に行くと確かに自分の死体がある。死骸を抱き上げた当人が、なんだかわからなくなっちゃたな、抱かれているのは確かにおれだが、抱いてるおれは誰だろう、と終る噺だ。
 「奇妙な果実に見立てられた死体と、自分の死体(とされる死体)を抱え『死んでいるおれを抱えているおれは、誰なんだろうなぁ~』というのは、どちらも底知れぬ恐ろしさを含んでいる。それは『意味わかんねえ人間』と正章が言うように、人間の馬鹿さ加減が凝縮されているからだと思った。」と「おれ」は感じる。一方は悲劇的であり、他方は喜劇的である。一方には木にぶら下がった人間という鮮明で衝撃的なイメージがあり、他方にはいったんある前提(自分のことでもわからないことはある)を受けいれてしまえば、自分が自分でも気づかぬうちに行き倒れになっているというとんでもない結論でも認めさせるような言葉の説得力がある。そして、こうした「人間の馬鹿さ加減」を多くの人間に受けいれさせるのがビリー・ホリデイや志ん生の芸の力なのだということも忘れてはなるまい。
 「まずいスープ」に登場してくる人物の誰もがごく普通の社会生活から足を踏みはずしている。「おれ」は団子屋でアルバイトをして金を貯めては外国へ行くような生活を何年も続けて大学もやめてしまった。父親の「よういっちゃん」はなんの仕事をしているのかわからない男で、銃を改造したり家の屋上で大麻を育てたりもする。サウナに行くといったきり帰ってこないのも、ロシアからのはちみつ輸入の仲介のような仕事をしていて、知らぬ間に拳銃密輸の片棒をかつがされていたことに気づき、身の危険を感じて姿をくらます必要があったからだ(姿を消す直前に普段は料理のうまい彼がつくったのが表題になっている「まずいスープ」である)。母親は焼酎を手ばなすことのないアルコール依存症で、酔っぱらって階段から落ち、頭を十五針縫った。家には血のつながりの全くない女子高生の「マー」が居候していて、彼女は学校で禁止されている読者モデルと喫煙が見つかって停学中である。彼らは色々な事件に行きあたっても悲愴にもならなければ、必要以上に力み返ったりもしない。「父と母は飄々とした独特の感覚があって、その波長があっていたのかもしれない。」とあるが、この波長は登場人物全員に共通している。大麻や拳銃が出てきても殺風景な話にならないのは、それらのことで彼らが自分たちの波長を崩さないからだ。とりもなおさずそれは作者と登場人物との距離の取り方が一貫しているということでもあって、そこにこの作者の芸の力が発揮されている。
 あるいはこのことは、アメ横から歩いて十五分のところに家があるという舞台設定にも大きく関わるところがあるのかもしれない。これが新宿や渋谷となると、人間の数は多くとも、そこには抽象的な他人かごく身近な仲間しかいない。言いかえれば、個人と街が直面し合ってそこに介在するものがない。ところが、アメ横や父親がかつて古物商の免許を取って店を出した東郷神社や不忍池や鬼子母神などの骨董市(「おれ」が父親のことを問い合わせたのも骨董市での知りあいだし、逃げた父親が身を落ち着けた先もそうだ)に集まる人間は無名の他人でもなければべたべたした仲間でもない。都会の孤独と湿った家族関係(職場や学校や地方の閉鎖的なコミュニティでの擬似家族的な状況も含めて)の両極を右往左往する小説の多いなかで、そうした両極端の中間にあるもの、市場に代表されるような、いわば街のなかの街での、顔のある他人を捉えることにこの小説は成功している。
(文芸批評)







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