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評者◆増田幸弘
フリーランスの“飢える自由”
No.2909 ・ 2009年03月14日
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フリーランスとして働くという明確な意志をもっていたわけではなかった。それでも気がつけばずうっとフリーランスとして働いてきた。これまでフリーランスとはなにか、いつも自問をつづけてきた。そう自問することがフリーランスであることの、なによりの証だったのかもしれない。そして、いまではぼくはフリーランスなのだとハッキリと自覚している。
もうずいぶん前のことだが、フリーランスとして働くか、新聞社で仕事をするか、選択を迫られたことがあった。ちょうど子どもが生まれ、きちんと生活を考えなければいけない時期だった。ぼくが家族を路頭に迷わせるかもしれないと心配した先輩が、中途採用の記者として新聞社で働く道筋をつけてくれたのである。 新聞社の編集局長に会ったりしながら、スタッフとして働くとはどういうことなのか、フリーランスとはなんなのか、頭の中で考えがぐるぐると回っていた。そのころよく仕事をしていたフリーランスのカメラマンの先輩に、仕事の帰り、何度とはなく、相談をしたりもした。 クルマを運転しながら助手席のカメラマンに問いかけ、バーで水割りを飲みながら語り合った。それでも答えは決まってでなかった。先輩は頷くだけだった。たぶんぼくがいま、だれか若い世代の人にフリーランスになるかどうするか相談されたとしても、きっと同じように曖昧な態度を取るしかないだろう。 フリーランスのよさは、いろいろな新聞や雑誌で仕事をできることにある。毎日同じ会社に足を運ぶ必要はないし、人事権を上司に握られることもない。なんでも好きなことを好きなようにできることはなによりの強みである。 しかし、フリーランスといえば聞こえはいいが、要は下請けであり、外注である。基本的にはそれ以上のものでも、それ以下のものでもない。自らの意志で仕事をしているように見えて、実態は受け身であることがほとんどだ。仕事の依頼の電話がかかってきたり、メールが来たりして、仕事がはじまるわけである。断る自由はあるが、断ればまずそれで縁は切れる。 そんな日々を過ごしながら、ほんとうにそれがフリーランスの姿なのだろうかとあいかわらず自問をつづけた。フリーランスとはいっても、Aで仕事をしたらBでは仕事ができないといった制約が多いのも現実だ。それであればスタッフとして会社に入ってしまったほうがよほどいいのではないかとも思った。フリーランスとしてもらう原稿料で同世代の新聞記者並みに稼ごうとしたら、それこそ毎日のように一面トップの記事を書かなくてはならないだろう。 スタッフの強みは、書く場を求めて右往左往する必要がないことにつきる。新聞社の名刺があれば、フリーランスではできな取材ができることもありうる(実際には多くの場合、フリーランスだからといって取材を断れた例はごくわずかなのだが)。 若かったぼくは、たしかにそんなふうに考えていた。スタッフとして働くのは年齢的にもそのときが最後のチャンスだと認識していた。しかし、結局、中途採用の道は選ばず、フリーランスとしてこれまでやってきた。 フリーランスとはなにか、いろいろな人に尋ねていたとき、ひとりの先輩編集者が「飢える自由があること」といっていた。そのときはピンとこなかったし、いつもの悪い冗談かと思っていた。が、40を過ぎて、たぶんフリーランスであるということはそういうことなのだと思うようになった。 日本を離れてプラハを拠点に仕事をしようとしたのは、先輩のいう「飢える自由」を、フリーランスとしてはじめて行使したのだった。仕事のあてはなにひとつなかったし、そもそも家族がきちんと生活できるかさえわからなかった。それでもなんとかなると思っていたのは、ぼくに「飢える自由」があったからにほかならないだろう。 早いものでプラハでの生活をはじめてもうじき4年目になる。“飢える自由”のなか、あいかわらずフリーランスとはなにかと自問しているが、幸いぼくも家族もいまのところ飢えてはいない。日本での生活と変わったところといえば、クルマを所有するのをやめたこと、生命保険をやめたこと、携帯電話をプリペイド式にしたことぐらいだろうか。 クルマをやめるだけで、車両代、さまざまな税金、保険、ガソリン代、メンテナンス代など、多くのものから解放される。スピード違反や駐車違反など警察の取り締まりを受けることがなくなり、旅先でも自由に地酒が楽しめる。運転をしていて事故に巻き込まれる心配もない。こうしたこと一つひとつから自由になっていくのもまた、フリーランスらしいことのように感じている。 ぼくはプラハで生活するためのビザをフリーランスという立場で受けている。フリーランスとしての登録免許のようなものがあり、この登録を受ければ外国人であるぼくでも、チェコ人と同じような立場で、自由にフリーランスとしての活動ができる。これは、考えてみればすごいことだ。同じようなことをたとえばチェコ人が日本でしようと思っても、おそらくできないだろう。 |
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