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評者◆秋竜山
求められる「日本の古典」、の巻
No.2908 ・ 2009年03月07日




 いまなぜ白洲次郎なのか。と、思っていたら、〈いまなぜ白洲正子なのか〉という本が書店に置かれていたので、奥付けを見たら二〇〇八年八月に第一刷発行とあり、二〇〇八年十月第二刷発行とあった。白洲次郎については最近テレビドラマ化されて放映の日が新聞などで報道されているが、「ちょっと待てよ、いまなぜ白洲次郎なのか」と、(……)の考える時間を持つと、このドラマの趣も変化するだろう。白洲次郎といえば白洲正子。白洲正子といえば(……)。白洲正子については最近の人のように思えたが、白洲次郎については、そういう(すごい)人もいたのかと、歴史上のようなとらえかたをされるほどに昔話のようになってしまったようだ。でも白洲正子によって白洲次郎が浮びあがってくる。川村二郎『いまなぜ白洲正子なのか』(東京書籍、本体一六〇〇円)は、評伝白洲正子として、面白い。何が面白いかというと、白洲正子とのかかわりあいのあった、誰でも知っている有名な人物が著者の文章によって次々とあらわれるということだ。
 〈正子は魯山人についてこう書く。「金持ばかり相手にせず、安い日常品を沢山作っていたら、一世を風靡することも出来たでしょうに。一般の大衆も、もっと美しい道具がたのしめたでしょうに。人と喜びを分つことのたのしさを、魯山人は、ついに知らずに終りました」〉(「ものを創る」、本書より)
 なるほど!! と思う。えらい人がえらい人をみると、このようにみえるのか。
 〈使えば使うほど美しさの増すのが魯山人の御飯茶碗や湯呑みや小皿だと思っていたのに、魯山人は晩年になると、ふだん使うような食器を作らなくなった。それを惜しみ、作るように頼んだことがある。すると、こういった。「お茶碗だと、一つ何万円で売れるのに、同じ手間と場所をとって、御飯碗だと五百円にしか売れない。そんな馬鹿なことができるか」なるほど、一理ある。同じ手間とヒマをかけるのなら、一つで何万円にもなるものを作りたくなる気持はわかる。しかし、御飯茶碗や湯呑み茶碗のような生活雑器は、何から何まで自分でしなくても作れるではないか。焼き物の窯があいているとき、若い弟子たちに作らせて、仕上げのところだけ手を加えればいい。(略)しかし、そうしなかったということは、根っから商売上手ではなかったのかもしれない。〉(本書より)
 いまなぜ白洲正子なのか。
 〈筆者は、もし「白洲正子をひと言でいうと、どういう人でしたか?」と聞かれれば、「日本女性の古典」と答える。(略)つまり何度聞いても、見ても、読んでも、飽きないものを古典と呼ぶのである。〉(本書より)
 大体において、古典と呼べる人物は、この世にはいない。あの世の住人ばかりだ。「そーいえば、あの人物は古典といってふさわしい」と、いった具合いだ。古典といわれるようになる人物は、いつの時代でも、その時代によびもどされる。こーいう時代だからこそ、あーいう時代とか、あーいう人物を!! とか。今の日本で一番求められているのは、「日本の古典」なのかもしれない。なんて、いったら笑われるか。







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