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評者◆蜂飼耳
髪を切る場所
No.2908 ・ 2009年03月07日
ふだんよく歩く道に、理容室がある。理容室、床屋、美容院、どの言葉が一番ぴったりなのか、わからない。もともとクリーニング屋として使われていた店舗が空いたところへ、シャンプー台や鏡や椅子が運びこまれ、髪を切るための場所に仕立て直された。床屋なのかな、美容院なのかな、と通り掛かるたびに見ていると、ほどなく、それに答えるかのような手書きの看板がおもてへ出されるようになった。「当店は男女関係なくカットをします」。黒い板に、白く角張った手書きの文字。
あれ、と首を傾げた。男女関係なく。それはもちろん、男性客でも女性客でもカットしますからどうぞ、という意味なのだと、迷う間もなくわかる。けれど、店の前を通過しながらその言葉を反芻する短いあいだに、あれ、と思う。「男女関係なくカット」。それで大丈夫なのか。そこに、ちがいがなくて大丈夫なのか。関係なくカットするというのは、宣伝文句としてどうなのだろう。そういう意味ではないと、わかっていながら、揚げ足を取るつもりもなく、看板の文句を読むたびにおかしさが込み上げる。 店は小さい。カット台は二つ。クリーニング屋だったときに店番の女の人が座っていたあたりの位置に、鏡がある。通り掛かるときには、見るつもりはなくても、店内が目に入る。出入口には大きなガラスが嵌まっていて、それは曇りガラスではなく透明なので、覗くつもりはなくても、すっかり見える。ときおり客がいる。客は例外なく腰掛けている。シャンプー台か、カット台に。看板の宣伝文句が効果を発揮していることがわかる。客は、男のときもあれば、女のときもあるのだ。通過しながらぱっと見ただけでは、どちらかわからないときもある。店内いっぱいに吊るされていた衣服は一枚残らず消え去っていて、がらんと寄る辺ない空間に、頭髪のことを考えている人たちがいる。時間帯によっては、鏡の端が日の光を反射して、ちらちら輝く。空白だらけの空間は、緊張し硬直する。 男か女か、あるいはどちらでもあるような客が、鏡の前に座らされ、というより自発的に座って、自身と向き合っているのが見える。「男女関係なくカット」というのは、どんな感じなのだろう、と結末に少しばかり興味を持ちながら、もちろんそれを目にすることはない。一度も。通り掛かるだけだから、立ち止まったり、外からじっと眺めたりはしない。 前に別の用途に使われていた空間は、なかなか次の用途に馴染まないものなのだろうか。その空間は、髪を切るための場所に変わって幾月も経過したというのに、いつまでも仮の店舗に見える。いつでもやめてしまいそうに見えるのだ。店の床は玉子焼きの色をしている。そこへ髪が散り落ちる。客のすがたがないわけではないのに、いつ閉じてもおかしくなさそうに見える理由は、わからない。 「髪なら路上で切る」と、中国に留学していた友人がいった。九〇年代前半、中国ではどこの町でも、道端でカットする床屋があった。車も人も通る道のかたわらで、のんびり、散髪はおこなわれていた。「あれ、鏡がないんだよね。鏡がないと、途中でどんな髪型になっているかわからないんだよね」。仕上がった段階で、どこからか鏡を取り出して、映してみせてくれる。散髪の道具を箱にしまい、それを自転車にのせて、すっといなくなる。「すごく簡単。気楽でいいんだよ」と、友人がいったことを思い出す。 玉子焼き色の床、はらはら落ちる切られた髪。客の口元が動く。店の人と会話している。鏡のなかで。鏡のおもて、鏡の表面で。床に影が溜まる。影は男でも女でもない。はっと見ると、客は男だった。店の人も男だった。女のときもある。鏡に映る虚像が首を動かす。左から右、右から左へ、天体のようにゆっくりと。その人にとって確かめるべきことが、そこには確実にあるのだった。 |
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