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評者◆稲賀繁美
日系ブラジル人紳士録からの一頁――鈴木正威著『鈴木悌一 ブラジル日系社会に生きた鬼才の生涯』
No.2907 ・ 2009年02月28日




 サンパウロ市の西に広がる丘陵のうえに通称USPことサンパウロ大学は位置している。亜熱帯の林に覆われた構内に、日本文化研究所がある。地上3階、地下1階の堂々たる建物は1976年の落成。爾来30年以上が経過した。研究所2階には5千冊の蔵書を誇る図書館がある。そのBibliotheca Teiiti Suzukiに名を残す鈴木悌一(1911‐96)は、研究所立ち上げに尽力し、初代所長を務めた。その生涯が、鈴木正威氏による評伝に活写されている。日本列島では到底収まらぬ大器が、南米の広大な移民国を舞台に縦横の活躍を見せる。
 鈴木悌一は西宮に生まれ、1928年に家族とともにブラジルに渡った。彼の業績として世に知られた事業は、大きく三つ。まず戦時中の国交断絶ゆえに没収されていた日本人資産の凍結解除に奔走したこと。つぎに日本移民50周年を記念したブラジル日系移民悉皆実態調査。第三には日本文化研究所の設立。
 だがこうした大仕事を成し遂げた人物は、ブラジル焼酎・ピンガを愛する呑兵衛にして、低徊趣味を自称する文人肌の楽天主義者、フランス語や古典語にも堪能なポリグロット、頭脳明晰で才気煥発、当意即妙の機知と警句を連発しては論敵を撃破する才人。晩年になって習得した油彩画でも名をなす一方、水泳では70歳以上の競技によるブラジル選手権で優勝したという経歴を有する文字通りの傑物だった。
 第2次世界大戦勃発とともに、ブラジルと日本とは音信不通となった。はたして祖国は戦勝したのか敗戦したのか。この論争が戦後まもなく勝ち組、負け組の抗争を呼び、臣道連盟による陰惨な暗殺テロまで引き起こした。この事件が日本移民排斥を訴える政治家に格好の口実を提供する。1946年には排日決定が憲法審議会を舞台に展開されている。賛否いずれも99票と同数のところ、議長が反対票を投じたために憲法修正案は辛うじて否決された。だが議長の良識は、特定の移民の扱いは憲法条項には馴染まない、という純粋法理論上の判断に過ぎず、日系移民への好悪感とは無関係の原則論だった。悌一による国会議事録の抄訳は、議論の要点を理詰めで要約しつつ、行間から当時の生々しい雰囲気も伝えている。
 これに続く時期、日系資産凍結解除工作で、悌一の器量が試される。サンパウロ大学法学部出身で弁護士資格をもつ悌一は、山本喜誉司の命を受け、毎週のように聖都からリオに飛び、グロリア・ホテルを根城に、国会議員相手のロビー作戦に尽力した。機中での愛読書はスタンダールの『赤と黒』。もちろん仏原書で読んでいた。権謀術数を駆使するジュリアン・ソレルの手練手管と度胸にあやかりたかったのだろう。そこには「体当たりの無手勝流」と形容された悌一による説得工作への挺身ぶりが、二重写しになって髣髴とする。
 最晩年の逸話。絵画教室でヌード・モデルの素描をしていると、雨が降ってきた。「巷に雨の降るごとく、我が心にも涙ふる」Il pleut dans mon c ur comme il pleut sur la ville.窓辺でそう独り口ずさんだら、スペイン系のモデル、通称「カルメン」が続きをフランス語で唱和した。 Quelle est cette langueur qui penetre mon c urt?と。稽古後、どこでヴェルレーヌを覚えたのと尋ねると、彼女はアルジェリア出身だった、という。
 人文的教養や学殖が社会貢献に不可欠な実行力の裏打ちとなりえた古き佳き時代のほのぼのとした物語だ。悌一は大学の授業でも学生に様々な国々の詩の暗唱を勧めたと、長女の鈴木妙(Tae)教授からも回想を伺った。吉田奈々教授は、藤村の「椰子の実」を直々に教わったのだという。
*鈴木正威著『鈴木悌一:ブラジル日系社会に生きた鬼才の生涯』
(サンパウロ人文科学研究所 Centro de Estudos Nipo‐ Brasileiros刊, 2007,530pp.
E‐mail:centro‐nipo@terra.com.br)







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