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評者◆蜂飼耳
未知の帽子
No.2906 ・ 2009年02月21日




 仕事を通じて、ときどき思い掛けない職業の人と知り合いになることがある。最近は、帽子屋さんと出会った。デザインから販売までを自分でおこなっているというその人の店は、神楽坂にある。自分はふだん帽子をかぶることはまずない。だから、かえって興味を持った。どういう人が、どういう理由で帽子デザイナーになるのだろう、と。送られてきた地図を頼りに、毘沙門天の裏手の道を行くと、その店はあった。出て来た人は、意外にも、同世代の女性だった。パリで店を出し、その後、日本でも店を持つようになったというので、なんとなく少し年上の人を想像していたのだった。
 帽子屋だから、店のなかにはさまざまな色やかたちの帽子が置かれている。店の隅には、ミシンを使って作業をしている人がいた。かたかた、かた、かた。なつかしい、のどかなその音。鏡が掛かっていて、その内側で、静かに、帽子の数が増えている。帽子屋さんは地下室へ案内してくれた。ひんやりとした階段には、一段ごとに、木製の型が置かれていた。彫刻のようだ。珍しいので、ついじっと見てしまう。訊くと、作りかけの帽子をそこへかぶせてかたちを安定させるための型だという。「面白いですか?」と怪訝そうな顔つきで訊かれる。それを毎日使って仕事をしている人にとっては、面白くもなんともないのだろう。
 詩を、帽子としてデザインしたいのだという。帽子デザイナーになった経緯を訊いてみる。「祖父と父が帽子の問屋だったんです。私は学生のときはフランス語をやっていたんですけど、語学の勉強のためにフランスへ留学したときに、ふと帽子のデザインの教室に顔を出すようになって。作ってみたらデザインの賞を受けて、それで帽子屋になりました」。帽子屋さんはその日、帽子をあたまに載せていた。つばが片方の目に掛かるような、斜めにしたかぶり方で、だからもう片方の目で、じろり、じろり、と見上げるのだった。帽子は確かにその人に似合っていた。あたまのサイズを測らせてくれなどといわれたらどうしようと身構えたが、そんなことにはならないのだった。
 帽子屋さんは過去に作った作品のファイルを取り出し、ひろげてくれた。並べられた写真のなかに不可思議なかたちのものがあり、訊くと、「これはバッグにもなるんです」。「バッグですか?」。かぶっている帽子がそのままバッグとして使えるのだという。沈黙のあいだへ、ミシンの音が降ってきた。かた、かたかた。ミシンは、天敵の少ないのんきな生きもののような声を立てるのだった。「バッグ?」。「はい、バッグです」。帽子をかぶらない自分は、帽子が他になにに使えるのか、考えたこともないのだった。たとえば、本は、どうだろう。読むことの他に、なにかに使えるだろうか。本はあくまでも読むためのもの、読まなくても読むことを前提に置いておくものだ。他の使い方をすれば罰があたりそうなイメージを、本というものは帯びている。けれど、なぜだろう。破いて使ったり、メモ書きに使ったりする人は、あまりいないだろう。書かれ、印刷されてきた言葉に対し、人間は長いあいだ敬意を払ってきたからだと考えればよいのだろうか。
 たとえば、と帽子屋さんはいう。「地平線や水平線みたいな帽子って、どうでしょうか?」。実体が、在るけれど無い、無いけれど在る、そんな線。そのときどきの理由と都合で設定される境界線や国境。そんなイメージにもとづく帽子が可能なら、見てみたい。「難しそう」と伝えると、「でも、やってみたい」と、帽子屋さんはいうのだった。だれでも、まずは自分の仕事から世の中を見る。帽子屋さんは、帽子を通して世の中を考えているのだった。ふだん接触する機会のない職業の人と会うと、新しい視点を教わることになる。それは見知らぬレンズを不意に渡されることと同じだ。驚きながら、のぞきこむ。







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