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評者◆齋藤礎英
いくつかの回路――大澤真幸が、ホメロスやシェイクスピアがなぜ今も読み継がれるのかと問う。「私とは何か」という、すぐれて人間的な疑問を再び取り上げる秋山駿
No.2905 ・ 2009年02月14日




 山田風太郎が晩年なにかのエッセイで、自分が死ぬことを思ってもさして恐怖感は湧かないが、太陽の寿命から何十億年かの内には必ず訪れる地球の滅亡を考えると怖くてたまらなくなる、といった意味のことを書いていた。なかば共感しながら(なかばというのは、わたしにとって自分が死ぬことも十分に怖いからだ)、極めて私的な感情である恐怖と地球の滅亡という抽象的にしか思い描けない出来事(なぜなら、地球の滅亡を見て取る視点などありえないから)とが結びついていることを興味深く思った。生物学者のユクスキュルは動物たちのそれぞれの種によって独自なものである知覚し行動する時間や空間を環世界と名づけたが、人間の場合、そうした個体から同心円状に広がる環世界を飛び越えて、世界そのものに直面するような回路をもっているようなのである。
 大澤真幸の新たに始まった連載「〈世界史〉の哲学」(『群像』)は、ホメロスの『イーリアス』や『オデュッセイアー』、シェイクスピアの『ハムレット』や『ロミオとジュリエット』など現在の我々とはまったく異なる歴史的・文化的コンテクストに生まれ享受された作品がなぜいまなお感動をもって読み継がれているのか、という問いかけから始まる。もちろん、これらの古典も古代ギリシャ、エリザベス朝でしか生まれ得なかった特異性をもっている。だが、そうした歴史的・文化的背景を知ることが必ずしもこれらの作品のもたらす感動に結びついているわけではない。しかしまた、個々の作品のもつ特異性がこれらの作品を時代も文化も違う様々な場所で繰返し再評価させてきたのだ。つまり、こうした特異性のなかには、それとは相矛盾するはずの普遍性へと通じる回路があるようなのである。
 二十世紀後半の思想は、普遍的だと思われてきた概念、たとえば「人間」「子ども」「核家族」「青春」「ナショナリズム」「風景」「自由主義」などの歴史的起源を暴くことに力を注いできた。そうした趨勢のなかで普遍性を標榜することは時代錯誤なことに思える。しかし、ある普遍性がいまの世界を支配していることもまた確かである。資本主義である。ウェーバーは資本主義の起源をプロテスタンティズムに求めたが、そうした特殊な歴史的・文化的背景のもとに生まれた資本主義は、キリスト教的文化圏に限らず、儒教的、ヒンドゥー的、イスラム的文化圏にまで適応している。資本主義は特異性と普遍性との直結を示す最大の例なのだ。民族・宗教の違いによる戦争、経済格差、環境破壊といった現在の人類が直面している問題の根源にあるのはなんら「規範的・価値的な内容」をもたない空虚な形式である資本主義である。こうした問題の解決は、「人類が、資本主義を超える――あるいは資本主義に代わる――普遍性を有する社会を構想しうるか」どうかにかかっている。特殊性からどうやって普遍性が発生するのか、そのダイナミズムを示す最上の例である資本主義をそのもととなったキリスト教にまで溯り「世界史」として考察しようとする構想は今後の展開が楽しみである。
 同じく新たに始まった連載、秋山駿の「「生」の日ばかり」(『群像』)もまた、特異性と普遍性とを結びつける回路を指し示している。「私とは何か」という秋山駿の文章に常に鳴り響いている疑問が再び取り上げられる。死を凝視するとき、はじめて「私」というものが形成される。死に脅かされることのない動物は「私」などなく、水のなかを水が流れるように、環境のなかを生きている。そして、この「私」に意味があるのか、というすぐれて人間的な疑問がこのいまここにしかいない特異な「私」をある普遍性へと結びつけるのである。「意味がある、と、感じたいとき思いたいとき、双生児のように浮び上がってくる言葉がある。それは――意味を与えるもの、すなわち、『神』である。『私』とは何か、という問いのかたちで明滅している『私』というものに、もしか意味を与えるものがあるとすれば、それは、神なのだ。(私とは何か、と問うことは、同時に、生とは何か、死とは何か、人間とは何か、世界とは何か、存在とは何か、現実とは何か、と問うことだ。)」神といっても、必ずしもキリスト教的な神を指すわけではなく、「自分の心の内部で感じられる神」のことなのだ、と秋山駿は言う。つまり、「私」といういまここにしかない唯一無比の存在は、生や死、人間、世界、存在、現実といった普遍性へと向う回路をくぐり抜けることによってはじめて形成される。普遍性は具体的な「私」とは関係の薄い抽象的なものではなく、まさしくこの具体的な「私」を成り立たせているものであり、秋山駿が言う「神探し」とは特殊性と普遍性とを結ぶ回路探しのことであるに違いない。(文芸批評)







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