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評者◆秋竜山
思い出せない記憶、の巻
No.2904 ・ 2009年02月07日




 茂木健一郎『脳と仮想』(新潮文庫、本体四三八円)は〈この作品は平成十六年九月新潮社より刊行された。〉とあるから、その時読んだはずだ。例によって読んじゃ忘れの読書習慣であるから、おぼえているわけがない。読んだということはおぼえていても、サテ? 内容となると情けないが思い出せない。あらためて本書を読む。そして思ったことは、本というものは時間をおいて二度読み三度読みするものだということだ。
 〈私が三木成夫の講演を聞きながら、そのことを一度も想起することなく十数年の時が流れ、しかも、他の人がミキシゲオ、ミキシゲオと呪文のように話すのを聞いていても、自分には関係のないどこか遠い世界のことだと思っていたという事実は、記憶というものに関する私の観念をかなり動揺させた。今更ながらに、「思い出せない記憶」の重大さというようなものに気がつかされたのである。〉(本書より)
 思い出せない記憶とはなんとも妙な表現である。
 〈ある出来事(エピソード)として思い出せるような記憶をエピソード記憶という。私たちは、エピソード記憶こそが記憶の王者であると考えがちだ。しかし、もし過去の痕跡が残っていることを「記憶」と名付けるならば、私たちの脳の中の記憶のうち、エピソードとして思い出すことのできる記憶はごく一部にすぎない。(略)一つのエピソード記憶の周囲には、決して思い出すことのできない、記憶と明示的に名付けることさえできない体験の痕跡がまとわりついている。〉(本書より)
 私は子供の頃から大人になっても、よく両親から聞かされたことは、床屋へ行くのがきらいで、椅子に座らされると同時にいつも大泣きしたという。ところが、あるマンガ本をみせると、いつも必ず泣きやんだというのだ。たしか「カンちゃん」とかなんとかいうマンガであったとか。両親はなんというマンガ本であったか記憶はその程度であった。どうやら私がはじめて関心をしめしたマンガ本であったのだろうと思える。つまり、「思い出せない記憶」であるのだ。両親はみせた。私はみた。ということだ。しかし、私には見た記憶がない。もし、両親にそのようなエピソードがあったと聞かなければ、なんにもわからないことである。私にとって、マンガを描くことを職業としていることから、生まれて初めて見たマンガ本が記憶にないマンガ本であったことが、なんとも不思議な気分になってくるのである。同じようなことでは、田舎の隣のねえさんに聞いたことだ。数年前に初めて聞いたことであった。私が二、三歳の頃、オチンチン丸出しの素っ裸で(昔の子供にこういうことがあっても不思議はない)、それに、ナベに糸をつけ首につるして、そのナベを棒切れでガンガン叩きながら外を駆けまわっていた、というのである。まったく記憶にないことだ。そんなことが本当にあったのかと思う。しかし、あったのだ。
 〈前衛でいようと思っても、どうせ過去がまとわりつくものであるならば、思い切り前衛であろうとすれば良い。どんな前衛も、きっとなつかしい前衛になってしまうものならば、(略)いっそ、意識の中では思い切り過去との断絶を志向してしまえば良い。〉(本書より)
 思い出せないから前衛で良いのだ。なんて……ね。







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